いざ独立しようとは思っても「何をするか」が問題でした。最初に考えたことは、他人のまねにならない仕事であること。できれば日本で初めてというような仕事がしたかった。私と大学の同窓で、旅行代理店に勤めていた戸田(寿一・現セコム最高顧問)君と二人で、どんな仕事をしようかと話し合いました。まず考えたのはボーリング場の経営でした。当時流行していましたからね。次に通信販売会社というのも候補に上がりました。そんな時、知人から聞いたのが欧米の警備会社の話でした。
私はすぐさま「それだ」と直感しました。警備保障会社なら、天に恥じることのない仕事です。それに日本にはまだそのような会社がなかった。今、始めれば、努力すれば大きくなるかもしれないと思ったのです。
戸田と二人で日本警備保障を創業したのは、1962年のこと。29歳の時でした。父には「電話帳にも載っていないような仕事はだめだ」と反対されました。父にとって電話帳に載っていない業種などというものは、怪しいものとしか思えなかったのでしょう。「おまえの性格だと、すぐに壁にぶつかって食うや食わずになるぞ」とも言われました。 |