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Front Interview
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第3話 第4話
Vol.011 セコム株式会社 取締役最高顧問 飯田亮第2話 一からデザインする
コラム(2) パーソナル・データ(2)
天に恥じることのない仕事
 いざ独立しようとは思っても「何をするか」が問題でした。最初に考えたことは、他人のまねにならない仕事であること。できれば日本で初めてというような仕事がしたかった。私と大学の同窓で、旅行代理店に勤めていた戸田(寿一・現セコム最高顧問)君と二人で、どんな仕事をしようかと話し合いました。まず考えたのはボーリング場の経営でした。当時流行していましたからね。次に通信販売会社というのも候補に上がりました。そんな時、知人から聞いたのが欧米の警備会社の話でした。
  私はすぐさま「それだ」と直感しました。警備保障会社なら、天に恥じることのない仕事です。それに日本にはまだそのような会社がなかった。今、始めれば、努力すれば大きくなるかもしれないと思ったのです。
  戸田と二人で日本警備保障を創業したのは、1962年のこと。29歳の時でした。父には「電話帳にも載っていないような仕事はだめだ」と反対されました。父にとって電話帳に載っていない業種などというものは、怪しいものとしか思えなかったのでしょう。「おまえの性格だと、すぐに壁にぶつかって食うや食わずになるぞ」とも言われました。

これまで日本にないビジネス
 日本警備保障を創業する時にまず考えたことは、権利と義務と責任、これがはっきりした商売にすることでした。お客様との間に、酒問屋のような割に合わない、スッキリしない関係を作ることはやめようということでした。また、営業でたくさんの貸し倒れを作ってしまった。そんなことになるのも避けたいと思いました。ですから、まず思い浮かんだのが「前払い制度」でした。前払いなら貸し倒れが発生する心配がありませんから。
  創業はしたものの、最初の半年ぐらいはまったく売れませんでした。「後払いなら」というお客様もありましたが、それを突っぱねて前金制度だけは頑固に貫きました。
  もし既存のビジネスであったならば、日本の商習慣にならい、前払い制度は受け入れられなかったことでしょう。しかし警備保障業という、これまで日本になかったビジネスだけに受け入れられ、定着していきました。私たちが創業の後にも、次々と警備保障会社が生まれましたが、そこも同じように前払いとなっています。
(1月24日更新 第3話「カルチャーを育む 」へつづく)  




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