たとえば、ビジネス上のつきあいでランチを一緒にするというのは、日本企業の人たちもごく普通にやってはいるわけです。しかし夜のプライベートな世界で日本人がもっとつっこんだつきあいをしているかというと、それはしていないのです。夜になると日本人は身内同士の付き合いだけになりがちで、ビジネス関係の人たちと胸襟を開いて付き合うことをしていません。しかし、実はそういう世界に入らないと現地の本当の話というのは聞こえてこないのです。
だから、たとえば現地でシンジケートを組むような大きな取引の場合にも、現地のハウスがまず声をかけるのは日系企業ではありませんでした。おいしい仕事は、まず友達関係に連絡する。それで売れ残ったところを振ってくるという順序になってしまうのですね。
当時、1980年代の日本の金融取引というのは、まだ規制が厳しかったので、完全に型にはまったものでしかありませんでした。ただボリュームだけはすごく大きかったですね。日本の株価はどんどん上がっていましたから、株式に関する仕事、たとえば転換社債とかワラント債などを日本の企業が海外で発行する。しかし基本的には同じパターンの商品で、何の工夫もない。ロンドンでそれを引き受けている側は手数料がどんどん貯まっていくわけです。ロンドンには日本人向けのナイトクラブができて、夜そこへ行くと日本の証券会社の人たちが、あちらこちらで景気よく飲んでいる光景をよく見たものです。 |