私が生まれたのは石川県の吉野谷村というところです。今この村は合併で白山市になってしまいましたが、たいへんな田舎です。同級生は小学校時代で12人、中学校に行っても26人しかいませんでした。もちろん塾などありません。学校から帰る途中に川に飛び込んで泳いだり、柿をもいで食べたり、冬はスキーをやるといったように、子供の頃は自然の中で、のびのびと過ごしていました。
私は1957(昭和32)年生まれ。子供の頃から当時のプロ野球のヒーロー、長嶋茂雄の大ファンでした。当時吉野谷村ではテレビのチャンネルは2つか3つしかありません。ラジオもちゃんと入る放送局が少なかったですね。そのテレビをつけたり、ラジオをつけたりすると、いつも長嶋がいるわけです。そして自然と長嶋のファンになり、野球を始めました。運動神経はけっこういいほうだったので村の中学野球大会に小学生の頃から出場していました。
両親はともに学校の先生で、姉と妹の3人兄弟です。父親は勉強しろとはほとんど言わなかったですね。教師の家庭としては珍しいぐらいに放任主義だったのではないでしょうか。普段から「好きにやりなさい」という感じでした。しかし躾やマナーの面では厳しかったですね。とくに父には、生意気な口をきいたり、人の悪口を言ったり、あるいはちゃんと挨拶ができなかったりするとひどく叱られました。
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