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Front Interview
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第3話 第3話
Vol.016 GCA株式会社 代表取締役 佐山展生第1話 真剣勝負
コラム(1) パーソナル・データ(1)
反骨精神と起業マインド

 私と父親の性格はまったく違います。父は地方公務員で真面目で堅物なタイプ。京都市役所に勤めていましたが、毎日同じ時間のバスで出勤し、同じ時間のバスで家に帰ってきました。残業もなければ休日出勤もない。そんな父の姿を見ていましたから子供心に「サラリーマンとはそういうものなんだ」と思い込んでいました。
  どちらかというと私の性格は祖父たちに似ているのだと思います。父方の祖父は18歳でひとりで島根県から京都に出てきて、チンチン電車の車掌から始めて、様々な商売を手がけてきたと聞きました。島根県の曽祖父は神主だったそうです。そして私が生まれた頃は京都で銭湯を営んでいました。
  母方の祖父は南画(墨絵)の絵描きです。20歳頃にひとりで中国に渡り、以来筆一本で食べていきました。反骨精神があったのでしょう、「帝展(後の日展)がどうした」とよく言っていました。在野の絵描きで、それほど有名にはなりませんでしたが、絵だけで食べていくのは大変なことだったと思います。実家にはたくさんの絵が残っています。私は祖父の絵が好きです。そのような生き方で二人の祖父は、それぞれ3人の子供を育てあげました。誰にも頼らずにひとりで生きていくという生き方はまさに隔世遺伝ですね。


目指せ、甲子園
 中学は中高一貫の私立洛星中学に進学しました。部活動は野球部に入部し、ポジションはショートでした。練習は厳しく、時間もエネルギーもすべて野球に注ぎ込むことになりました。練習のあとは家に帰って寝るだけで他のことは何もする元気が残っていませんでした。何度もやめたいと思いました。毎日「雨が降らないかな」といったようなことばかり考えていました。洛星は受験校ですから高校2年生になると退部する同級生も多かったのですが、私は3年の夏まで野球を続けました。今から考えると高校2年でやめるのと3年まで続けるのではまったく違いました。
  当時の京都は平安高校が甲子園の常連校で、私が高校3年のときはそれに次ぐのが大谷高校でした。3年生の時の夏の大会で、平安高校が不祥事で出場を辞退しましたので、その年の甲子園は大谷高校が優勝候補の筆頭でした。しかし3回戦でその大谷高校に洛星が2対0で勝ってしまったのです。学校中が大騒ぎです。しかし、準々決勝の花園高校戦で、逆転サヨナラ負けをし、私の高校野球は終わりました。
  記録上は京都大会ベスト8止まりでしたが、優勝候補の大谷高校に勝った経験は私にとっては大きな自信になりました。人の力はそれほど変わらない。そして勝敗を決するのは「どれだけ真剣か」「どれだけ必死になっているか」だということを実感しました。

建築家への夢を追う

 高校1年の頃から将来の進路を真剣に考えはじめるようになりました。ものを作る仕事がしたいと思い、建築家になろうと決めました。それも巨大なビルや施設を作るのではなく普通の家を建ててみたかった。そのため大学は京都大学工学部の建築学科を第1志望にしました。
  受験勉強を始めたのは野球部を辞めた後、高校3年の11月頃でした。受験勉強は実質3カ月程度でしたが真剣に取り組みました。大学に合格することはできましたが第1志望の建築学科ではなく、第2志望の工学部高分子化学科でした。浪人をしようとも考えたのですが、将来大きな会社に入るなら高分子化学でもいいかと思い入学を決断しました。
  大学に入学してからも野球は続けました。入学前から野球部の練習に参加し、1年生の春からリーグ戦にも出場していました。しかし建築家の夢はあきらめきれなかった。夢をあきらめることで後悔をしたくなかったのです。そこでもう一度受験してみようと決めたのです。8月の終わりに野球部を休部して受験勉強を始めました。しかし高校時代とは心構えが違いました。受からなくても高分子化学があるからという甘い気持ちがあったのでしょう。結果は明白でした。でも、やるだけのことはやって駄目だったのですから、後悔はありません。





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