中学は中高一貫の私立洛星中学に進学しました。部活動は野球部に入部し、ポジションはショートでした。練習は厳しく、時間もエネルギーもすべて野球に注ぎ込むことになりました。練習のあとは家に帰って寝るだけで他のことは何もする元気が残っていませんでした。何度もやめたいと思いました。毎日「雨が降らないかな」といったようなことばかり考えていました。洛星は受験校ですから高校2年生になると退部する同級生も多かったのですが、私は3年の夏まで野球を続けました。今から考えると高校2年でやめるのと3年まで続けるのではまったく違いました。
当時の京都は平安高校が甲子園の常連校で、私が高校3年のときはそれに次ぐのが大谷高校でした。3年生の時の夏の大会で、平安高校が不祥事で出場を辞退しましたので、その年の甲子園は大谷高校が優勝候補の筆頭でした。しかし3回戦でその大谷高校に洛星が2対0で勝ってしまったのです。学校中が大騒ぎです。しかし、準々決勝の花園高校戦で、逆転サヨナラ負けをし、私の高校野球は終わりました。
記録上は京都大会ベスト8止まりでしたが、優勝候補の大谷高校に勝った経験は私にとっては大きな自信になりました。人の力はそれほど変わらない。そして勝敗を決するのは「どれだけ真剣か」「どれだけ必死になっているか」だということを実感しました。