1号ファンドの時に当初の5年間の投資期間中にパートナーが辞めると投資ができなくなります。退任するときにも1年前に申し出る必要がありました。そのため2003年9月3日に退任することを他のパートナーに言いました。その時まだ、ユニゾンを辞めて何をするか具体的な計画はありませんでした。そんな時私に声をかけていただいたのが一橋大学の竹内弘高教授(一橋大学国際企業戦略研究科長)でした。竹内教授からのお話は、「一橋大学が2004年4月に独立法人化する。兼業自由なポストができるのでどうか」というものでした。2004年4月1日から夜間のビジネススクールの教師になりました。
ビジネススクールで教えることにしたのは、ニューヨークで学んだビジネススクールでの印象が強かったからです。米国のビジネススクールでは実際のビジネスマンが講師となって教えています。ゴルフスクールでゴルフ経験者が教えるのと同じです。しかしその当時の日本では、経営をしたことのない人だけが経営学を教えていました。日本でも現役のビジネスマンが教えても良い頃だろうと思ったのです。
大学で教え始めて、求められているものや現場での緊張感がビジネスとはまったく違うものであることがわかりました。ビジネスでは瞬間瞬間が勝負ですが、大学では「瞬間」というのはそれほど求められません。それよりもっと根底の話が必要になります。ビジネスの世界から退出したあとなら大学はとても居心地の良いところかも知れません。しかし今のところ大学だけに専念することは考えていません。ビジネスの「生の話」を聞く方が学生にとっても良いことだと思っているからです。しかし、両立させるのは結構大変なことです。
(6月27日更新 第4話「心一点曇りなく」へつづく)
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