起業家・ベンチャーキャピタル・投資家を繋ぐコミュニティ・マガジン

Front Interview
第1話 第2話
第3話 第3話
Vol.016 GCA株式会社 代表取締役 佐山展生第3話 あくなきチャレンジ
コラム(3) パーソナル・データ(3)
経営と経営者
 帝人や三井銀行などの大企業時代は経営の意志決定やプロセスは末端の社員までなかなか正確に伝わってはきませんでした。重要な事柄は上の方で決まり、「こうなりました」と通達されることが多かった。ましてや経営の意志決定に参加できるわけもなかった。ユニゾン・キャピタルを設立して大きく変わったことは経営のすべてが見え、すべて自分たちで意思決定ができることでした。ここで経営のおもしろさを知りました。また投資先の会社との関係で経営への理解も深まりました。それまでは「経営は、半分経営者で決まる」と思っていたのですが、実際は「90%以上経営者で決まる」「トップの能力によって会社は左右される」ということを実感しました。
 私個人にとってユニゾン・キャピタル設立で得た一番大きなものは「新しいことにチャレンジする精神」です。チャレンジして成功した経験は大きな財産となっています。しかし私の思う新しいこととは、決して皆が賛成することではありません。「本当にそんなことをやるのか」と驚くようなこと。ましてや、やっている本人でさえも決してうまくいく確信を持っていないことさえあるもの 。それでこそ、真のチャレンジであるということです。
  1号ファンドが一定の成功を納め、次に2号ファンドを作ることになりました。1号の成功で、2号もある程度の資金が集まり、ある程度以上の結果も出せることは予想がつきました。後はどれだけうまくいくかのビジネスです。私はさらにチャレンジングなものを求めようとして、会社設立当初の計画どおりユニゾン・キャピタルを辞めて別の仕事の準備を始めました。

ビジネスと学問

 1号ファンドの時に当初の5年間の投資期間中にパートナーが辞めると投資ができなくなります。退任するときにも1年前に申し出る必要がありました。そのため2003年9月3日に退任することを他のパートナーに言いました。その時まだ、ユニゾンを辞めて何をするか具体的な計画はありませんでした。そんな時私に声をかけていただいたのが一橋大学の竹内弘高教授(一橋大学国際企業戦略研究科長)でした。竹内教授からのお話は、「一橋大学が2004年4月に独立法人化する。兼業自由なポストができるのでどうか」というものでした。2004年4月1日から夜間のビジネススクールの教師になりました。
  ビジネススクールで教えることにしたのは、ニューヨークで学んだビジネススクールでの印象が強かったからです。米国のビジネススクールでは実際のビジネスマンが講師となって教えています。ゴルフスクールでゴルフ経験者が教えるのと同じです。しかしその当時の日本では、経営をしたことのない人だけが経営学を教えていました。日本でも現役のビジネスマンが教えても良い頃だろうと思ったのです。
  大学で教え始めて、求められているものや現場での緊張感がビジネスとはまったく違うものであることがわかりました。ビジネスでは瞬間瞬間が勝負ですが、大学では「瞬間」というのはそれほど求められません。それよりもっと根底の話が必要になります。ビジネスの世界から退出したあとなら大学はとても居心地の良いところかも知れません。しかし今のところ大学だけに専念することは考えていません。ビジネスの「生の話」を聞く方が学生にとっても良いことだと思っているからです。しかし、両立させるのは結構大変なことです。


(6月27日更新 第4話「心一点曇りなく」へつづく) 




HC Asset Management Co.,Ltd