丸紅に入社して三年目、アルジェリアに富士紡績の工場を作るプロジェクトが決まり、そこに関わることになりました。弱冠25歳ながら500人ほどいる現場のトップ、年上の人たちを引っ張っていく大役を仰せつかったのです。当時は丸紅がロッキード事件で世間を騒がせている時期でもあり、現場の人たちの私を見る目も厳しく、大変苦労をしました。娯楽のない土地なので、年末には現場に仮設舞台を組んで、紅白歌合戦を開催するなど、現場や現地の人たちとのコミュニケーションをはかることに努めました。
商社の仕事は受注だけが仕事と思われがちですが、このプロジェクトは丸紅がゼネコン的な立場で全体の仕事をまとめるものでした。プラントにははっきりとした工程があり、第1フェーズでは基礎をつくる。基礎ができたら第2フェーズに入り杭打ちをするといった流れが決まっています。また、工場ができあがれば、そこに機械を据えつけ、試運転をし、工場で働く工場長から一般の工員までそれぞれの職ごとに教育訓練を行うという仕事が待ち受けています。
そのひとつひとつがすんなりと進むわけではなく数々のトラブルの連続でした。そのたびに私は「大丈夫だよ。やれるよ、やれる」と言って現場を勇気づけていくのです。そのうち「山田さんが大丈夫だと言うのだから、やれる気がする」と現場の皆さんから言ってもらえるようになりました。
(8月8日更新 第2話「自問自答」へつづく)
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