中学高校を通してもう一つのめり込んでいたものが映画でした。私の家庭教師がフランス映画の専門家、田山力哉氏の友人で、彼の著書『フランス映画史』(キネマ旬報社)を勧められて読んだところ、そのおもしろさに、その本に登場する1930年代の古い映画が上映されている歌舞伎町のアートシアター新宿に見に行ったり、ほかにも池袋の文芸座や銀座の並木座などの名画座に盛んに通うようになりました。
中学校3年になると、映画を作ろうという友人がいて「ゲリラになろうとした男」という8ミリ映画を作りました。この映画で監督を務めたのが、今は電通でクリエイティブディレクターをしている樋口尚文君です。彼は映画に関しては私の指南役で、いつも新しい映画、おもしろい映画について情報交換をしたり、好きな監督について話をしていました。当時は実験映画や前衛的な作品が好きでした。将来は映画監督やプロデューサーなど映画に関わる仕事がしたいと考えていました。
彼の第2作目の「ファントム」という作品は2時間以上におよぶ大作で、ここでも私は役者を務めました。ワンシーンワンカットの手法で、長いセリフがとても大変でした。この映画を「ぴあフイルムフェスティバル」に出品したところ、大島渚監督から高く評価され、最後の10本の優秀作品に選ばれました。これで、ますます映画の世界が楽しくなり、のめり込んでいきました。