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Front Interview
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Vol.019 小山登美夫ギャラリー オーナー 小山登美夫第1話 美の迷宮へ
コラム(1) パーソナル・データ(1)
現代美術に開眼する

 生まれは築地の聖路加国際病院、育ちは東京の日本橋の人形町です。実家は人形町で小売り酒屋を営んでいます。子供の頃から絵は見ることも描くことも大好きでした。絵画教室にも通っていました。いろんな人から作品を褒められたこともあったりして、中学生の頃までは本気で「ゴッホのような」画家になりたいと思っていました。中学3年の時には、本格的に絵を描こうと、キャンバスや油絵具を買い込んでみたのですが、結局1枚しか制作しなかったです。当時、絵以外にも夢中になることが出てきたりして、それも絵を描かなかった一つの理由ではあったのですが、やはり1枚しか描けなかったことは事実です。自分は画家にはなれない、制作には向いてないなと思いました。それでも絵を見るのは好きでしたから、日曜日になるとせっせと美術館をはじめ展覧会通いをしていました。
  兄と同じ中高一貫教育の学校だったのですが、兄の同級生で、落語研究会の先輩でもあった人から「これ、おもしろいよ」と、ジャスパー・ジョーンズ(20世紀の米国画家)の作品集を見せてもらったのです。作品そのものは理解できないながらも、その知的な雰囲気にとても強く惹かれました。そこで講談社の『現代の美術』シリーズをはじめ現代作家を紹介している雑誌や本を手に入れたり、図書館でみたりして、様々な現代美術の作家の作品を本で見出したのです。
  当時、現代美術の実作品を間近に見ることができるのは、西武美術館(後のセゾン美術館)や原美術館、あとは現代美術専門の画廊でしたから、雑誌「ぴあ」を片手に、西村画廊、佐谷画廊、かんらん舎などに足繁く通うようになりました。また、情報誌に掲載されていない六本木のマンションの一室にあった「ウナックサロン」に工藤哲巳を見に行ったり、日本橋の中華料理店の上にあった「ギャルリーところ」で、ブランクーシやカンディンスキーの本物に対面することもできました。


ヌーベルバーグの洗礼を受ける
 中学高校を通してもう一つのめり込んでいたものが映画でした。私の家庭教師がフランス映画の専門家、田山力哉氏の友人で、彼の著書『フランス映画史』(キネマ旬報社)を勧められて読んだところ、そのおもしろさに、その本に登場する1930年代の古い映画が上映されている歌舞伎町のアートシアター新宿に見に行ったり、ほかにも池袋の文芸座や銀座の並木座などの名画座に盛んに通うようになりました。
  中学校3年になると、映画を作ろうという友人がいて「ゲリラになろうとした男」という8ミリ映画を作りました。この映画で監督を務めたのが、今は電通でクリエイティブディレクターをしている樋口尚文君です。彼は映画に関しては私の指南役で、いつも新しい映画、おもしろい映画について情報交換をしたり、好きな監督について話をしていました。当時は実験映画や前衛的な作品が好きでした。将来は映画監督やプロデューサーなど映画に関わる仕事がしたいと考えていました。
  彼の第2作目の「ファントム」という作品は2時間以上におよぶ大作で、ここでも私は役者を務めました。ワンシーンワンカットの手法で、長いセリフがとても大変でした。この映画を「ぴあフイルムフェスティバル」に出品したところ、大島渚監督から高く評価され、最後の10本の優秀作品に選ばれました。これで、ますます映画の世界が楽しくなり、のめり込んでいきました。





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