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Vol.019 小山登美夫ギャラリー オーナー 小山登美夫第2話 現代美術の森へ
コラム(2) パーソナル・データ(2)
画廊で働く
 大学6年の時に銀座8丁目のクラブでバーテンのアルバイトをしていました。会社の社長や広告代理店の営業マンなどが通ってくるごく普通のこぢんまりとしたお店でした。ちょうどその頃、現代美術のギャラリーとして有名だった西村画廊に勤めていた大学の先輩から「画廊でバイトをしないか」と声をかけられたのです。当時、西村画廊は銀座にありましたので、夕方までは西村画廊で働いて、その後に銀座のお店に出るようになりました。自分ではそうは思わなかったのですが、 バーテンという仕事が板に付いていたのでしょうか、クラブのママから「卒業したらうちでプロのバーテンにならない?」と誘われたことがありました。
  そうこうしているうちに就職活動をしなければならない時期になりました。しかし、普通の会社に勤めたり公務員になる自分をイメージすることができませんでした。でも、やはり就職しなければいけないだろうと思い、キティフィルムやソニーといった映画に関わりのある会社をいくつか受けました。しかしことごとく失敗。そこでアルバイトをしていた西村画廊にそのままお世話になることにしたのです。
  西村画廊では、働くというより勉強に近いものがありました。仕事といってもどこかに積極的に営業に行くようなこともなく、画廊にお見えになるお客様にお茶をいれたり、お話ししたりするという仕事。お客様はサラリーマンの方であっても、美術のコレクションをずっとしている人。見識が凄く深いのです。それを聞くのがおもしろかった。あと、西村画廊は舟越桂さんやホックニーさん、中西夏之さんといったそうそうたる作家を取り扱っていましたので、その作家の資料や画集がたくさんありましたから、時間があるといつもその資料や画集を眺めていました。画廊では毎月個展が開催されていて、その都度パーティーが開かれるので、そこで横尾忠則さん、舟越桂さん、中西夏之さんといった作家の皆さんとお話しすることもできました。また、日本中の美術館の学芸員の皆さんともお会いすることができたのも、非常に有益だったと思います。

村上隆との遭遇
 3年間勤めた西村画廊を辞めたあと、米国に1カ月ぐらい旅行して、ロサンゼルス、シカゴ、ニューヨークなどのギャラリーを徹底的に見て回りました。ちょうどシカゴで白石コンテンポラリーアートの白石正美さんとお会いすることができ、帰国してから白石さんのところで働くことになりました。白石さんもフジテレビギャラリーから独立されたばかりでした。白石さんのところでの最初の仕事が、高級不動産で知られる東高ハウスが表参道に作った東高現代美術館の運営のお手伝いでした。東高ハウスでは所有していた土地の建坪率が上がるまでの間、2年間だけと期限を区切って仮設のコンテンポラリーアート美術館を作ったのです。そして、菅木志雄さん、遠藤利克さんの展覧会を担当することになりました。
  白石さんの仕事の進め方は、これまでのギャラリストとはまったく違っていました。テレビ局系列のギャラリーに勤めていただけあって、メディアの使い方が大変に上手でした。展覧会のプロモーションのためにイベントを次々と企画していくのです。東高現代美術館のパーティーは盛大で、そのプログラムは大変注目を浴びましたし、私にとっても新鮮な経験でした。
  東高現代美術館でデビッド・リンチ(映画監督)の絵画展を開催したとき、会場に現れたのが東京芸術大学日本画科の大学院に通っていた村上隆さんです。私も東京芸大出身で、顔に見覚えはあったのですが、どんな人なのか、何をしている人なのかはまったく知りませんでした。村上さんはデビッド・リンチの大ファンだったのです。彼は集めたデビッド・リンチ関連のものを会場に携えてきて、何回も何回も並び直して、そのひとつひとつにデビット・リンチさんにサインをもらっていました。デビット・リンチさんも嫌な顔をせず、並んだすべての日本のファンにサインをしていたのが印象的でした。




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