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Vol.019 小山登美夫ギャラリー オーナー 小山登美夫第3話 商人道開眼
コラム(3) パーソナル・データ(3)
マーケットは海外にあり
 江東区の食糧ビルにギャラリーをオープンしたのが1996年4月9日。バブルがはじけて平成不況に入っていた頃ですので、 お客様もそこそこ来てはいただいたのですが、かつてのような勢いで作品が売れる環境ではありませんでした。周囲からも「何でこんな時期に創業したのか」といわれましたね。
  当時は画廊の経営については、ほとんど考えていませんでした。と言いますか、どう考えていいかわからなかったのです。実際に自分で経営して痛感したのが、営業を続けていればそれに伴って経費もかかるということでした。そして、どのようにすればギャラリーの経営を安定させられるかと、悩まざるをえなくなったのです。
  そんな時、あるアーティストと海外の友人から「海外のアートフェアに出展みれば」と勧めていただいたのです。その言葉を聞いて「海外で売れるか売れないかはわからない。しかし、このまま日本にいるよりは海外へ出たほうがいい」と思ったのです。今でこそアニメやコミックをはじめ、現代の日本文化は海外で広く受け入れられていますが、当時はそれほど知られてはいませんでした。また、私以前に日本の現代作家の作品を海外で売り出そうとする画商はほとんどいませんでした。ですから、本当に手探りの進出であり、勝算などはまったくありませんでした。

点になり、線になり、面になり

 その当時のアートフェアといえば、シカゴやバーゼルで開催されるものが知られており、日本からもいくつかのギャラリーが参加していました。しかし、私が参加したのはそこまでメジャーなフェアではなく、「グラマシーアートフェア」と呼ばれる若いアートフェアでした。ロサンゼルス、マイアミ、ニューヨークのホテルの部屋を使って開催されるものでした。知名度はありませんから、そんなアートフェアは日本ではだれも知りません。とても新鮮な感じで、刺激的でした。日本から参加したのは私とタカ・イシイギャラリーの石井さんだけでした。
  ホテルのスイートルームをはじめ各部屋に作品を展示するのです。 ロサンゼルスではサンセットブルーバード沿い「シャトー・マーモット」が会場でした。出展料は3会場合わせて2,000ドル。ほかに宿泊代として1部屋1泊400ドル程支払う必要がありました。私はそんな高級なホテルに泊まったことはありませんでしたから、ホテル代の方が高く感じたほどです。しかし、オープンしてみると、日本でもまだまだ知名度の低い作家の作品が、次々と売れていきます。それは私にとって嬉しい誤算でしたし、どうしてこんなにお金が動くのだろうと不思議にも思いました。海外マーケットの層の厚さを実感したのです。
  現在は世界中でアートフェアビジネスが花盛りです。とくにバーゼルアートフェアはいまでは出展希望者が当時の6倍から7倍ぐらいになっています。会場のキャパシティは決まっていますから出展することすら難しい状況です。そのためフェアの会場周辺で新しいフェアが幾つも開催されるようになってきています。私自身は、アートフェアに積極的に出ていたこの時代がギャラリー経営者としての修業時代だった思っています。海外で一緒に汗を流してくれるパートナーを見つけて、そのパートナーと一緒にマーケットを作っていく。それが点になり、線になり、面になれば需要は確実に増えていくのです。今もその考えは変わっていません。




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