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Front Interview
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Vol.020 IBM Venture Capital Group 日本担当 ベンチャー・ディベロップメント・エグゼクティブ 勝屋 久第1話 熱中時代
コラム(1) パーソナル・データ(1)
IBMでプロフェッショナルに
 大学時代は将来の職業について漠然としたイメージしか持っていませんでした。スペインに熱中したり、ダンスで食べていくことを考えたり、とにかくワクワクする仕事がしたかったということはあります。しかしスペインも、ダンスもこれを職業として実際に食べていくのは大変だということはわかっていました。
  就職先としてIBMを意識するようになったのは、たまたま私の叔父の後輩の方がIBMに勤めていて、話を聞く機会があったからです。その方は「IBMはグローバルな会社であり、営業の会社である。もし営業でプロフェッショナルを志すならIBMは最高の会社だ」と私を熱心に誘ってくださいました。話に興味を持ったものですから職場も訪ねてみました。その方が外国人を相手に堂々とプレゼンテーションをする姿を見せていただき、IBMは凄い会社だと感嘆しました。そこでIBMの就職試験を受けることにしたのです。その時はある広告代理店の内定もいただいたのですが、社会人としてのルールを学ぶには研修もしっかりしているIBMだと思い、入社を決断しました。
  IBMに入社したのは1985年でした。配属は営業部。入社前には「営業はインセンティブが貰える」「国際的に活躍できる」といった外資系営業のイメージ通りにすぐに活躍できるとばかり思い込んでいました。ところが現実とのギャップは大きかったですね。直属の上司が社内でも鬼の営業部長として鳴り響いていた人で、とても厳しかった。私が担当したのは中堅企業、成長企業で、飛び込み営業もあればテレアポもあります。土曜日も勤務、日曜日にも営業に回りました。「コンピュータが止まった」と連絡があれば夜中でもお客様のところに駆けつけますし、「コンピュータが動くまで帰さないぞ」と部屋に缶詰にされたこともありました。

トラブルから学ぶ

 当時「日経コンピュータ」という雑誌に「動かないコンピュータ」というコンピュータのトラブルを扱う連載記事がありました。社内では「あれに載ったら終わりだぞ」といわれていたものです。ところが、先輩から引き継いだばかりの会社でのトラブルが記事になってしまい、上司や役員から「どうなってるんだ」と問い詰められて大変な思いをしたことがあります。
  もちろんこの経験は、今になってみるとすべて今の自分の血となり肉となっています。営業部長にはビジネスの厳しさを徹底的にたたき込まれましたし、新人の頃からお客様のトップマネジメントの方々と会うことができたのですから。お客様から多くのことを学ぶことができました。
  当時お会いした中で印象に残っているのが、創業間もないファンケルの社長だった池森賢二さん(現・名誉会長)です。池森さんにはよく食事に連れて行って貰いいろいろな話をうかがいました。そこで企業経営者が成功するために大切なものとして、「エネルギー」「温かい心」、そして「ぶれない軸を持つこと」を教えられました。当時の私は20代の半ば、池森さんは30代半ばだったと思います。今から考えてみれば、この時代からベンチャー企業の素晴らしい経営者の方々に出会っていたことになります。

(10月10日更新 第2話「ベンチャーの鼓動」へつづく)




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