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Vol.022 財団法人ベンチャーエンタープライズセンター理事長 濱田隆道第1話 多様性の海で
コラム(1) パーソナル・データ(1)
産業の舵取りを経験
 1975年に通産省(現経済産業省)に入省して最初に配属されたのが、資源エネルギー庁石油部計画課。ちょうど石油ショックの直後で、石油問題は大変な時期でした。石油業界が諸悪の根源だということになっていて、ガソリンや灯油の値段を政府が止めてしまった。
 石油業界はオペレーションすればするほど、赤字続き。原油の値段は上がっているのに、ガソリンなどの石油製品価格は上げられないわけですから、赤字になるのは当然。業界全体で数千億円くらいの赤字でした。
 入省して1年目の仕事は廊下トンビといって、書類を持っていろんな所の決裁をもらいに走り回るという仕事でした。当時先輩方が手掛けていたのが石油業法という法律を使って石油製品の標準額を設定するという仕事でした。つまり、役所がお墨付きで、この価格で売っていいという額を設定し、値段を上げたわけです。石油会社が倒産したら、日本に石油がスムーズに入らなくなるわけですから重要な決定だったと思います。そんな仕事を1年目に目の当たりにして大変興奮しました。あの当時は、通産省が主導権を発揮して、ある産業についてどう舵取りをしていくかということを積極的に行っていましたから、面白い仕事でしたね。

ベンチャーの産声を聴く
 ベンチャーとの関わりは、VEC(Venture Enterprise Center)を所管する担当補佐をしたのがきっかけです。VECの創立は1975年ですが、1971年に清成忠男先生と中村秀一郎先生、平尾光司先生の3名が『ベンチャービジネス〜頭脳を売る小さな大企業』という本を書いて初めて「ベンチャービジネス」という言葉を使いました。
 その方々と、経済産業省の次官にまでなられた故熊野英昭さん(後に東京中小企業投資育成株式会社代表取締役社長)が一緒に作ったのがVECです。ベンチャービジネスというコンセプト自体、ここVECを作った人たちが考えたものですが、もともとは、米国でボストン周辺のルート128沿いで急成長したハイテク企業群を支える会社のことをベンチャーキャピタルと呼ばれていたのですが、当時通産省の佃さんという方が、そのベンチャーキャピタルの支援を受ける企業の方々をベンチャービジネスと言ってしまったのですね。
 清成先生たちはそのちょっとした誤解は知っていたのですが、「ベンチャービジネス」という和製英語が面白いから、これに中身をつけようということで本を書かれたわけです。それがベンチャービジネス論の始まりになりました。私が担当になったのは1980年から1983年までで、VECができてちょうど5年くらい経った頃です。まだ清成先生たちも理事をされていましたから、一緒に勉強会などをしました。



(12月12日更新 第2話「門戸を開く」へつづく)




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