1975年の創立間もない頃のVECは、ベンチャー企業を支援する仕組みを持っていた唯一の機関でした。その債務保証制度の審査委員長だったのが、HONDAの創業者である本田宗一郎さんでした。だからベンチャー支援の世界では、僕は古株になるのです。生身の本田さんと話をして一緒に仕事をしたのですから。本田さんはとても面白い人でした。裏表がなくて、実に明るい方でしたね。巷間、いろいろな人物像が伝えられていますが、そのすべてが当てはまる魅力多い方でした。
石油部に配属になった後、経済企画庁に出向し、経済協力の担当としてOECF(海外経済協力基金)の円借款を見ていた頃は、鉄道を引いたり、橋を架けたり、IJPC(イラン・ジャパン石油化学)というイランの石化プロジェクトに関わったり、そのどれもが大規模プロジェクトでした。そのビックプロジェクトのファイナンスという仕事を経験した後、VECの担当となったので、ベンチャーの世界はまったく違う世界で新鮮に感じられました。
しかし、僕がベンチャー政策とはじめて出会った1980年頃は、ベンチャーブームが一時期下火になりかかっていました。清成先生たちは、重化学工業化が進んだ1960年代後半の高度成長期に機械工業を中心に発達してきた日本の中小企業を対象に、米国と異なる日本型のベンチャービジネスのデータを集めて中身を詰めていたのですが、清成さんたちが面白いといって取り上げていたこうした企業も、石油ショックで壊滅的なダメージを受けて、全体としてはたそがれていた時期でした。
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