三菱信託銀行在籍時代、赤間義洋頭取は僕にとって思い出深い方です。信託銀行業界でも名の残る頭取でした。ある日、僕を呼んで「片岡君は市川房枝さんを担ぎ出して選挙活動をしたり、市民運動もやられている。当行は水俣のチッソの準メインバンクだが、もしうちが資金を引き上げれば、チッソは倒産するかもしれない。チッソは水俣病を引き起こした元凶であり、倫理的に手を引くべきとの世間や市民運動の声もある。片岡君は組合の委員長としてどうお考えですか」と尋ねられました。
赤間頭取もかつて組合の委員長を経験された方でしたから、僕がもし「撤退すべし」と答えたら、本当に資金を引き上げそうな勢いでした。じっくりと考えて、僕が出した答えは「やはり準メインバンクとしてチッソを資金的に支援し、企業体として存続させ、水俣病の被害者を救済するべきでしょう」というものでした。赤間頭取は真剣に悩んていたのでしょう。誠実な方でしたから。その後、赤間さんが会長を辞する時に、呼ばれました。僕は理由がわからなかったので、最初は組合を懐柔するつもりか、くらいの気合いで会いにいったのです。当時は血気盛んでしたからね。ところが、「片岡君、後を頼む」とおっしゃるのです。僕が頭取を引き継ぐわけありませんから、その時は言葉の真意をくみ取ることはできませんでした。広い役員室に一人、淋しそうにされていました。あの時の光景は忘れられません。しかし、今思うと、僕が話す言葉や評価に計算がないことをわかっていらして、信用してくれていたのでしょうね。
今この歳になったから理解できるのですが、「自分は辞めるつもりだけれど、あとは大丈夫だろか。君はどう思うか」と、率直な意見を聞きたかったのでしょう。でも、僕はガードを張ってしまって、心を開けませんでした。チッソの時のように率直な意見を言うべきだったのです。一人の人間の生き方に対して、ちゃんと向き合って応えられなかったというのは、忸怩たる思いがあります。生きるって、本当はそういうことにちゃんと応えていくことなのです。反省点です。
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