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Front Interview
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Vol.023 市民バンク代表 片岡勝第3話 透明性
コラム(3) パーソナル・データ(3)
フェアトレードの精神
 放浪の旅の途中、ノルウェーに行った時に、「理想の手」と呼ばれる「IDEAL FUND(アイデアルファンド)」というものに出会いました。クリスマス前のオスロは、外気温はマイナス50度。何でもすぐに凍りついてしまう温度なので、目をつぶるのも面倒になるくらいの寒さです。その極寒の中を店に親子で並んでいる行列を見つけたのです。僕は最初、バーゲンか何かかと思って、近くの人に「ここのお店は安いのですか?」と尋ねたら、訝しげに見られてしまって、「私がここで買うことは、この子へのプレゼントであると同時に、途上国に対するプレゼントにもなるのです」と言われました。
 そういう仕組みがあるのかと、衝撃を受けました。そこで働いている人というのも、兵役を拒否した人たちで、兵役免除の代わりにそういう意義のある職場で働くのが義務になっているのです。彼らと話をしてみたら、とてもピュアで、それがまた、僕にとってはカルチャーショックでした。この出会いがきっかけで、その精神も含めたオルタナテイブな(もうひとつの)システム作りが必要だと感じて、日本で「第3世界ショップ」というフェアトレードを始めたのです。
 僕の事業は、経済的にうまくいくかという計算ではなく、細胞が騒いだらゴーするのです。フェアトレードも、次に手がけた「市民バンク」という少額融資制度も、根底にある考え方は同じものです。市民バンクを手がけたきっかけは、当時、西ドイツのフランクフルトにあるエコバンクを訪ねたことです。エコバンクは、1988年に平和運動グループが集めた資金600万マルク(約4億円)を元に設立した協同組合銀行です。環境破壊に関わるような企業や軍需企業に対しては一切融資をせず、環境に役立つ技術や商品の開発に取り組む企業、有機農業に取り組む農家や社会福祉住宅などに積極的に融資するのです。これはまさにソーシャルな企業活動だと思って、僕も社会的に意味のある活動に融資を行う市民バンクを始めたわけです。

瀬戸際の眼力
 最初に立ち上げたフェアトレードも、誰も手がけていなかった分野でしたから、競合はありませんでした。でも始めた当初は新手のスーパーマーケットかと、誰にも相手にされませんでした。でも、今は300店舗に卸していて、数億円の売上になってきました。市民バンクもそうですが、時代を先取りしていれば生き残れる、そういう事業が多かったですね。41歳で市民バンクを始めて、それからいろいろなものが具体化していきました。
 バングラデシュでグラミン銀行を始めたムハマド・ユヌス氏と話す機会がありましたが、彼も自分のお金を使って銀行を始めたのですね。そこは僕と似ていて、僕は1989年に、大学闘争で一緒だった山屋幸雄という永代信用組合の理事長に市民バンクの構想を話しました。その時、「一本、出してくれ」と頼んだのです。僕はいつもお金の話をする時に、「一本」という言い方をしますが、相手の受け取り方によって「一本」の額が変わってきます。もちろん、こちらにも最初から一応心づもりはありますが、その想定額よりもひと桁数字が低い人とは組みません。逆に、ひと桁多い場合はお友だちになります。それは金額の多少ということではなく、相手の支払能力から考えて、こちらの想定以上の額を提示してきたということは、僕の考え方を理解してコミットメントしてくれたと、そういう判断なのです。
 山屋氏からは「10億円か、よし。片岡君も半分担保を入れてくれよ」という言葉が返ってきました。僕は1億円のつもりだったから、ひと桁違います。でも、そう返されたら、うんと言わざるを得ないでしょう。それで、自分が持っている家もすべて一切合財を担保に入れて市民バンクを始めました。ですから、もし失敗していたら、すべてを失っていました。でも、それがよかったのだと思っています。自分のお金がなくなると思えば、融資を判断する時の目も頭もシャープになりますからね。

正しくあるべきもの
 20年間、市民バンクを続けていますが、この間、女性はずっと健全でした。とくに地域に出てみると、そこに女性のエネルギーが溢れているのがよくわかります。女性が地域の中で生き、その地域で必要と感じたことは、ちゃんと継続するために事業化していこうと進めてきました。ですから、基本的に融資対象にしているのは女性です。地域ビジネスでは女性が事業の主人公になるべし、と言うコンセプトで始めました。
 行政に任せても、コストが高くてクオリティの低いものしかできない、ということに20年前から気づいていていました。税金に頼らず、基本的にはサービスの対価を求めながら、自立的に事業を継続していくだけのことですから、民間ですべてやってみればいいのです。行政の仕事をどこまで削れるか、なくせるかということを、一度実験してみるのです。すると、意外と誰も困らないのではないかと思います。その実験をすることが、次世代に「軽い」日本を残すことにつながっていくはずです。
 今はとにかく、すべてが重すぎる。国債コストも重いし、手続きも煩雑、至る所に裁量権があって真綿で首を絞めるような意地悪が横行しています。こんな重い国では次世代が可愛そうです。もっとオープンで軽くて、透明性のあるフェアな国のありようでなければダメです。そういう社会を残していかなければ、次の世代は日本から出ていってしまいます。僕らの事業というものは先駆的なもので、正しくあるべきものを起業し続けてきました。だからこそ、広がってきたのだと思います。ぼくが資本の過半を持っているところで給料をもらっている人が100人をだいぶ前に越えました。これからは自分の組織を大きくするより、志の近い人々を応援することで、この流れをもっと加速させなければならないし、そうしていくことが日本社会のリニューアルにつながると思います。そこでは市民バンクで融資した先や、ファンドで投資した先、WWBのスクールを卒業した人など1,000件を超えます。ここのネットワーク化が次の課題です。



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