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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.024 スパイクソース株式会社 CEO キム・ポレーゼ第2話 JAVA
コラム(2) パーソナル・データ(2)
ユビキタス社会へ
 サン・マイクロシステムズで、C++言語に関わる仕事のプロダクトマネージャーをしている頃、極秘でJAVAの開発プロジェクトが動いていました。社内のある優秀なエンジニアが当時のCEOのスコット・マクニーリ氏のところへ行き、「これからはネットワークの時代で、すべてがユビキタスになっていく方向へと世界は動いていきます。ソフトウェア自体も、そうしたネットワーク化されたユビキタスの世界で使えるものに変わっていかなければなりません」と新しいソフトウェアの必要性を主張し、開発着手を説得したのです。
 これからのソフトウェアは、大型のコンピュータが使えるだけではなく、たとえば、ネットワークにつながっているモバイル機器など、さまざまなデバイスにおいて利用できるようなものでなければなりません。プロジェクトが動き出した当初、少数のエンジニアが集まったチームだけでしたが、ビジネスモデルを考え、JAVAのテクノロジーを市場に出していくためのプロダクトマネージャーが必要だろうという話になり、私に白羽の矢が立ったのです。
 私自身の経歴は技術畑を歩いてきたものでしたから、コードを書いたり、プログラミングをしたり、ということは行っていませんでしたが、当時は、プロダクトマネージャーという肩書きで、プロダクトに関して技術的な側面を見るということに携わっていました。

オープン化への第一歩
 JAVAを開発して世の中に出していくためには、ユビキタスである必要があり、みんなが広く使えるものでなければならないというのが開発の根本にありました。開発に携わった技術者たちも、ユビキタスという目標を達成するには、どうしてもオープンにしていくことが必要だと考えていました。
 ただし、お金を取るような課金タイプのものでは意味がありません。また、少数の人だけが使える閉ざされた独自技術というようなものにしてしまったら実現できないでしょう。ということで、当初からJAVAをオープンなものにして、無償で提供できるようにしようということで意見は一致していました。私自身も、その考えに賛成でした。ただ、オープンにするという戦略を立てたのは1994年ですから、オープンソースという考え方が広く認識されるずっと以前のことで、自由にソースコードを開示し、スペックなども、インターネット上でオープンにし、無償で提供していく、というのは非常に大胆な発想で、リスキーなものだったと思います。
 しかし、サン・マイクロシステムズの経営陣に、そうした戦略で展開することを願い出ると、当時のCEOであるスコット・マクニーリ氏は、“イエス”という勇気ある返答をくれました。大胆な発想に対して、経営陣が支持を表明してくれたのです。その英断で、オープン化に向けて動くことができたのです。




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