サン・マイクロシステムズで、C++言語に関わる仕事のプロダクトマネージャーをしている頃、極秘でJAVAの開発プロジェクトが動いていました。社内のある優秀なエンジニアが当時のCEOのスコット・マクニーリ氏のところへ行き、「これからはネットワークの時代で、すべてがユビキタスになっていく方向へと世界は動いていきます。ソフトウェア自体も、そうしたネットワーク化されたユビキタスの世界で使えるものに変わっていかなければなりません」と新しいソフトウェアの必要性を主張し、開発着手を説得したのです。
これからのソフトウェアは、大型のコンピュータが使えるだけではなく、たとえば、ネットワークにつながっているモバイル機器など、さまざまなデバイスにおいて利用できるようなものでなければなりません。プロジェクトが動き出した当初、少数のエンジニアが集まったチームだけでしたが、ビジネスモデルを考え、JAVAのテクノロジーを市場に出していくためのプロダクトマネージャーが必要だろうという話になり、私に白羽の矢が立ったのです。
私自身の経歴は技術畑を歩いてきたものでしたから、コードを書いたり、プログラミングをしたり、ということは行っていませんでしたが、当時は、プロダクトマネージャーという肩書きで、プロダクトに関して技術的な側面を見るということに携わっていました。
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