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Front Interview
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第3話 第4話
Vol.024 スパイクソース株式会社 CEO キム・ポレーゼ第3話 コミュニティ
コラム(3) パーソナル・データ(3)
チームの力
 振り返ってみると、JAVAプロジェクトを成功に導く鍵となったのは「チーム」であり、「人」だったと思います。なぜなら、幸運なことに、私が今まで仕事をした中でも最も優秀なソフトウェアのエンジニアと一緒に仕事ができたからです。また、会社設立時に投資してもらった投資家たちにも理解があり、経営陣もワールドクラスの人材を集めることができました。
 しかも素晴らしい製品があり、市場のニーズもあって、市場規模は急速に拡大しているという背景があって、かなり容易に目標を達成することができました。課題や問題があって大変だったという思いはありませんでした。独特の時代背景、素晴らしいテクノロジー、いいチーム、この組合せこそが大きかったと思います。課題があったとすれば、時代の流れによってビジネスモデルを進化させていかなければならなかったことです。
 製品を市場に出していく際に、パッケージングも含めてどういう形で提案していくかという場面でも、また、その市場のニーズに合わせて自分たちの考えを変えて適応していくということが問われる場面でも、適切なチーム・人材がいることが大きな強みとなりました。予測不能な状況においても、どう変えていけばいいのかということの判断を的確に下すことができたのは、一にも二にもチームだと思います。

JAVA生みの親として
 サン・マイクロシステムズにおいてプロダクトマネージャーとして得た経験からは多くのことを学ぶことができ、さまざまな恩恵を受けました。プロダクトマネージャーは、自分自身でプロジェクトをどう展開していくかを考え、決定していかなければなりません。常に、「こうすべし」というガイドラインはなく、自分自身の考え・クリエイティビティによってそれを見極め、物事を前に進めていかなければなりません。
 それはJAVAを市場に送り出していく時もそうでしたし、そこではさまざまな試行錯誤が求められました。そういうプロセスを経て物事を実行してきた経験というのは、マリンバ時代にも大きく役に立ったと思っています。
 JAVAのプロジェクトに関していえば、自分自身としては、かなり満足しています。最初に掲げたプロジェクトの目標は達成できましたし、ユビキタスを実現していくという、テクノロジーとしてかなり難易度の高い目標についても実現できたと思います。この先、JAVAがもっと進化を続けて、より広範に使われるようになり、さらに多くの開発者に対して貢献できるものになっていく状況を見届けていくのも、JAVAの開発から巣立ちまでを当事者として関わった者にとっては、大きな満足感が得られることだと思います。

コードネーム「スパイクソース」
 スパイクソース(Spike Source)社は、米オラクル社で社長・COOを務めたレイ・レーン氏が、2003年にオープンソースソフトウェアの将来性に着目し、インフラ部分におけるビジネスの必要性を強く感じて共同設立した会社です。シリコンバレーとインドのバンガローに拠点があり、それぞれ50名ほどのスタッフが働いています。
 もともとは少数のメンバーからなるインキュベーション(事業支援)のプロジェクトで、エンジニアたちがテクノロジーの開発を行っていました。その当時、私は直接関わってはいませんでしたが、レイさんから開発の話は聞いており、チームのメンバーともお会いして、オープンソースの今後の可能性や発展性についていろいろ話をしていました。ですから、会社に参加することが決まった段階で、前知識としていろいろ情報が入っていたのは事実です。
 スパイクソースという名前については、私が参加する以前に既に社名としてついていました。もともとプロジェクトのコードネームであり、会社名ではありませんでした。それというのも、ちょうどプロジェクトが進行している時期に、レイさんの奥さんが妊娠されて、お腹にお子さんがいました。「インキュベーション(Incubation)」には、「孵化する」という意味がありますが、レイさんの奥さんは、自分のお腹の子に「スパイク」と呼んでいたことから、プロジェクトのコード名を「スパイクソース」としていたそうです。私が参画したのは2004年9月ですが、10月に会社として立ち上げる時には、結局、そのコードネームをそのまま会社名として採用することにしたのです。



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