国民金融公庫時代でもっとも印象に残っているのは、小柴俊男さんとの出会いです。小柴さんは部下2,000人を率いた元陸軍歩兵大佐で、ひげをピンと生やして堂々たる体躯の方でした。入社間もないころ、「どこから来たのだね」と声をかけられたのが最初の出会いでした。東大と答えると、「俺の息子も東大だ。学部でいちばんで、今度留学する」とおっしゃるのです。学部と名前を尋ねたところ、理学部で名前は昌俊とおっしゃる。後にノーベル物理学賞を受賞する、あの小柴昌俊さんでした。
小柴さんは武士然たるも風貌で、愚痴一つ言わない立派な方でした。若い連中でも態度が悪ければ、ビシビシ叱っていました。「自分もいろいろ辛い目に遭ってきたが、今は息子に期待している。だから君も、逆境にあっても諦めずに頑張れ。チャンスというのはいくらでもあるのだ」といわれました。この言葉には勇気づけられました。
後年、小柴昌俊さんにお会いした際に「秀才の息子だとおっしゃっていましたよ」とお話ししたところ、「親は子どもに甘いんです」とおっしゃいました。戦後の価値観が転換する中で、陸軍大佐から一介の務め人になられて、武士そのものという人にとっては、生きづらい時代だったと思います。晩年の小柴さんを支えていたのは、息子さんであったのだと思います。
(4月16日更新 第3話「ベンチャーキャピタル」へつづく)
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