起業家・ベンチャーキャピタル・投資家を繋ぐコミュニティ・マガジン

Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.026 法政大学名誉教授 法政大学学事顧問 清成忠男第4話 自立
コラム(4)
ベンチャー学会設立
 1972年から1973年にかけて第1次ベンチャーブームが、1982年から1983年頃ごろに第2次ベンチャーブームが起こります。第1次は、ニクソンショックの後の過剰流動性による金余りで、新産業に投資が集まったからで、ベンチャー側からの自然発生的な動きではありませんでした。第2次ブームは、株式の店頭公開基準の緩和によってベンチャーキャピタルが増えただけで、第1次同様、資金供給側からの動きに過ぎません。
 ところが1990年代のバブル期に始まる第3次ブームでは、1次、2次のような資金供給サイドの都合によって生じたブームではなく、そのまま現在まで続く大きな動きとなっています。ブームというのは終わりが来るからブームですが、続いているとなると、もうブームではありません。その後、1997年に、長期信用銀行、山一證券が破綻しますが、それが成長しつつあるベンチャーに影響してはいけないということで、敢えてこの年にベンチャー学会を作りました。
 アカデミックにものを考え、政策提言をする学会として、国立大のエスタブリッシュメントではなく、私学主体の学会にしようと、慶應義塾大学の鳥居泰彦塾長、早稲田大学の奥島孝康総長に声をかけて賛成を得、立命館大学の大南正瑛総長、青山学院大学の國岡昭夫学長にも声をかけました。それと識者の方々にも加わっていただくために、発起人として野田一夫さん、江崎玲於奈さん、理化学研究所所長だった有馬朗人さん、広中平助さんにも声をかけ、ご賛同いただきました。厳しい時代状況でしたが、やはり世の中を変えていく施策の提案をするのは学会という場であるべきで、ただし、それは閉鎖的なものではなく、ベンチャーの経営者も通産省もベンチャーキャピタルも大いに歓迎という、オープンな形の学会としました。

起業家は楽観論者
 ベンチャー学会は一種の運動体ともなって啓蒙活動を行いましたが、ベンチャーも、最初のころはエイリアンだといわれました。でも今や当たり前のものとなり、言葉も一般概念になりました。しかし、ベンチャーと関わってきて思うのは、ベンチャーというものはある種、ものの見方なのですね。一つのものを見るのに、視点によって楽観論になったり、悲観論になったりします。起業家と呼ばれる人たちは、みんな楽観論者です。周りが100%失敗すると思っていても、本人は成功すると信じていることがあります。たとえば、本田宗一郎さんは、その典型でした。
 本田さんが引退された時に、話を伺おうと集まったことがありますが、初対面だったので名刺を出したら、大きな声で「私はあんたのお父さんの親友だ! 親父さん、元気かい」といって笑うのです。「はい。元気ですが、接点はないはずですが」といっても、「親が偉いと、子供は隠したがるものだ」というのです。後でわかったのですが、当時、動燃の理事長だった清成進という方のことだったのですが、その方が日立の副社長をされていた時に海外視察団の一員として本田さんと2ヵ月旅行して、毎晩二人で酒を飲んでいたらしいのです。その後、何度会っても、その度に「親父さん、元気かい」というわけです。とにかく明るくて、あの思い込みの激しさにはかないません。
 本田さんは、自分は運がよかったとよくおっしゃるので、どういう意味ですかと尋ねたところ、飛行機に乗っていて3回落ちたらしいのです。2回は、戦争中に練習機が砂浜の上に落ちて助かった。3回目はホンダの自家用機のセスナに乗っていて、愛知県の田んぼの中に突っ込んだそうです。通常はドアがロックされていて内側から開かないらしいのですが、蹴飛ばしたら空いたのだそうです。本田さんは、自分は運がいいという意識があるから、常に強気の意志決定をして、それが経済の高成長とうまい具合に波長が合って、すべて乗り切ってきたわけです。



HC Asset Management Co.,Ltd