1971年ごろに、中村秀一郎先生と平尾光司さんと私で、ベンチャーキャピタルが存在しなければ、ベンチャービジネスは伸びないという問題提起を行いました。私はまだ国民金融公庫に在籍中でしたが、米国へ行き、実際にこの目でボストンにある世界初のベンチャーキャピタル・ARD(American Research Development)を見てきました。
ベンチャーキャピタルの発掘は、もともとは平尾さんの功績です。彼は一橋大学を出て長期信用銀行に入行し、在職中にペンシルバニア大学の大学院に留学してマスターを取得しています。その後、長銀のニューヨーク支店長になりましたが、そこで米国のベンチャーキャピタルを発掘したのです。ですから、平尾さんは米国のベンチャーキャピタルの実態を極めて正確につかんでいた最初の日本人といえます。
私たちは、いろいろな証券会社で、特に若い人たちから、自分が米国に留学した時にベンチャーキャピタルに気づいて、帰国後に報告したけれども、上司がまったく取り上げてくれなかったという話をよく耳にしました。個々人レベルでは、ベンチャーキャピタルの存在に気づいていたのでしょうが、上の世代には、なかなか耳を傾けてもらえなかったようです。
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