起業家・ベンチャーキャピタル・投資家を繋ぐコミュニティ・マガジン

Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.026 法政大学名誉教授 法政大学学事顧問 清成忠男第3話 ベンチャーキャピタル
コラム(3)
VEC設立
 そこで、信用保証機関が必要だろうということで、当時の通産省に問題提起をしたのです。その時の課長が村井仁という人で、現在の長野県知事です。村井さんはすぐに他に移られたので、代わりに着任された熊野英昭さん(後に東京中小企業投資育成株式会社代表取締役社長)の代で、1975年にVEC(Venture Enterprise Center/財団法人ベンチャーエンタープライズセンター)が設立されました。
 米国の場合、ナスダックという新興株式市場ができて、株式公開が容易になったことでベンチャーキャピタルの投資活動が活発化しました。日本では、1983年に株式の公開基準が緩和されましたが,それまでは株式公開が非常に難しかった。1972年から73年に、日本でも相次いでベンチャーキャピタルが誕生しましたが,当時の試算では株式公開までに平均26年かかるといわれていました。それではベンチャーキャピタルは成り立ちません。そこで、直接金融が無理というのであれば、銀行融資でやろうということになりました。そして銀行のリスクが大きいのなら、信用保証すればいいということでVECを提案したのです。
 VECの保証で銀行がお金を出して、その保証料については企業側に出してもらうことにしました。成功すれば、VECに成功報酬として、その企業の年商または利益の数%を寄付してもらうという仕組みです。1983年に株式公開基準が緩和されたときもすぐに投資は進みませんでしたが、次第に他のベンチャーキャピタルが出てくるようになりました。ですからベンチャーキャピタルが根づいた時点で、VECの役割は終わったといえます。

米国ベンチャーの奥深さ
 VECは信用保証機関でしたから、技術の評価委員会を持っていました。さまざまな技術を評価する技術屋の集まりで、本田宗一郎さんが委員長を努めていらっしゃいました。私は理事で主に政策長として、毎年、海外に調査官を派遣していました。隔年で米国とヨーロッパへ交互に渡って政策の調査を行うもので、私自身も20回程同行して、その調査報告書の作成に携わりました。
 ヨーロッパは、日本とそれほど状況に変わりはありませんでしたが、米国との違いは大きものがありました。米国は、アントレプレナーシップ(起業家精神)が盛んで、戦後のビジネスヒストリーのほとんどは、ベンチャーが大企業になっていく歴史そのものです。たとえばIBMも、小さな会社だったのがメインフレームで大きくなりました。インスタントカメラのポラロイド、コピー機のゼロックス、雑誌のPLAYBOY、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルドもみんなベンチャーです。
 私たちが米国のベンチャーに興味を持ったころ、大成功例といわれたのがDECでした。同じころ、インテルが株式公開し、アップル、DELL、コンパックが続いていました。ソフト系ではマイクロソフト、グーグル、ヤフー、そして、ネットシステム機器ではサンマイクロシステムズ、シスコシステムズなど、産業別に見ても、米国経済を支配している大企業というのは、ほとんどがベンチャーから大きくなったところです。それに比べると、日本は依然として古い企業や銀行が上位にいて、ベンチャーで時価総額が上位にまでいったのは、ソフトバンクくらいでしょう。

(4月23日更新 第4話「自立」へつづく) 




HC Asset Management Co.,Ltd