ビジネススクールに戻り、非営利の世界から営利の世界に舵を切ったのですが、ちょうど1980年代半ばで、日本はバブルの渦中でした。当時、日本人でMBAを持っていれば、ウォール街がウェルカム、という感じで積極的に採用してくれました。
1987年にファースト・ボストン証券に入社し、外国債券を担当しました。自分の父親が銀行員だったこともあり、一つだけやりたくない職業と思っていたのが銀行でした。日本でいうところの安定した職業としての銀行員に対して関心はありませんでしたが、気がついたら、自分もビジネススクール在中の1986年の夏にインターンとしてお世話になったJPモルガン銀行に1988年に入っていました。
ただ、お金を貸す・借りるという仕事ではなく、マーケット関係の仕事で国債や先物、または為替オプションのトレーディングをしていましたが。その後、1992年にJPモルガン証券でふたたび国債を担当、1994年にゴールドマン・サックス証券で国内株式・デリバティブを担当するなど、同じ金融の世界で、ステージを変えてきました。
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