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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.030 シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役 渋澤健第2話 選択
コラム(2) パーソナル・データ(2)
ターニングポイント
 自分の中でベンチャーに対する意識が芽生えたのは、やはり自分の会社を立ち上げた2001年頃だと思います。それまでは大手の外資系金融機関に勤めていて、特にベンチャーに対する意識はありませんでした。そういう意味で考えると、1996年にムーア・キャピタル・マネジメントに転職したのは、一つのターニングポイントだったかもしれません。市場では巨大な金額を取引しているヘッジファンドでしたが、組織の形態としては中小企業でした。
 創業者のファンドマネジャーをトップに、彼をサポートする極めてフラットな組織で、ヘッジファンドの中でも最大手クラスでしたが、それでも当時は100名程度で、今でも200名規模だと思います。それくらいの組織ですから、意志決定が非常にシンプルで、トップとその周辺でものごとが決まっていきます。意思決定や情報収集のためのミーティングというのは数え切れないほどありましたが、組織にありがちな会議のための会議、というようなものは一切ありませんでした。そういうところでの経験があったので、できれば大きな組織には戻りたくないという気持ちがありました。

起業と開放感
 それで2001年に、自分が40歳になるのを契機に、人生を振り返ってみると、あまり大したことはやっていないなと。ならば、自分で何かを立ち上げる最初で最後のチャンスと思って独立に踏み切りました。私は結婚が遅かったので、子供がまだ小さくて、妻に独立したいというと、「小学生に上がるくらいまでに何とかしてね」といわれましたが、特に反対はされませんでした。
 そういう意味でも感謝しています。家族の後ろ盾がなければ、独立するといっても成り立ちませんからね。2年くらいやってダメなら、どこかに雇ってもらおうというくらいの気持ちで始めました。人生は一回ですし、思い切って飛び込んでみたのです。
 独立して最初に感じたのは、開放感ですね。ムーア・キャピタル・マネジメントには5年間勤めましたが、そのうちの4年は東京の駐在員事務所の代表を務めていました。立場的にはかなり自由度が高かったのですが、自分の意志でできないことがたくさんありました。ですから、会社を起ち上げた時に、これで自分の好きなことがいろいろできるという開放感を感じたのと同時に、これは自分自身を律していかないと、大変なことになるな、という思いでした。子供がおもちゃ屋さんに入ったのと同じ状態になって、あれもこれも面白いというように手を出して、リスク分散を考える上で必要な「選択と集中」ができなくなってしまう危険を感じたのです。そこは独立というものの一つのリスクだと感じました。




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