子どもの頃海外を舞台にした仕事をしてみたいと漠然と思っていました。そのためにフランス語やスペイン語を習ったりしていたわけです。大学1年生のときに、初めてフランス、スペイン、チェコスロバキア、ソビエトを1人で1カ月半くらい旅行したことがあります。ソビエトでは見張り役のようなガイドが付いて、ここは写真禁止、食事の時間は何時からと、常に監視されているようで大変でした。その頃は外貨の持ち出し制限があったわけですが、トランクの奥に現金を隠して少し多めに持っていったことを思い出します。
私が大学を卒業した1977年頃は、四大卒の女子学生にとって就職難の時代でした。当時は大学に求人募集があっても、女子学生の場合は英文科や教養学部といった学部指定がありました。要するに法学部や経済学部の女子学生は最初から採用しないということです。そういう時代でしたから、私の場合は試験を受ける企業が非常に少なかったわけです。それでも東京銀行、日本不動産銀行、日産自動車と3社を受けました。
私の家庭は比較的裕福なほうだったのですが、そのまま家事見習いをやる気は毛頭ありませんでした。それは生活のためではなく、働くことによって世の中の流れ、社会の仕組みをもっとよく知り社会に貢献したいと思ったからです。最終的に仕事の内容や諸条件を考えて、東京銀行を選びました。
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