バブル社会に嫌気がさした私は、1988年から貿易会社に就職し、北京駐在員として赴任しました。北京には1年半ほどいて、その後は金融業でイギリス駐在員として働きました。自分の気持ちをずいぶんとリフレッシュすることができました。外資系ファンド企業が日本から撤退し始めた1992年に、私はそれらの会社と入れ替わるように帰国しました。
その後、私はフランスで縫製した洋服を輸入して、日本で販売するアパレルの貿易会社を起業しました。しかし、アパレル業界の古い体質には驚きました。小売り制度、支払い方法ともにロジカルな取り決めがあるわけではなくではなく、売れたらお支払いしますといった約束事の世界なのです。これでは商売として成り立つわけがないと思いました。そのうち大手デパートにも商品を卸すまでになりました。ところが、商品の掛け率は先方が勝手に決めてしまうのです。納品した商品が売れなければ、それをまた引き上げに行かなければならないのです。フランスの工場から商品を輸入するときに品質の細かい検査があったり、関税の割り当てがどうこういわれたりと、いろいろなことに振り回されました。
会社勤めはあまり長続きしなかったわけですが、自分の会社は違いました。本当にやらなくてはいけないこと、乗り越えなければいけない問題があるときは、簡単に音を上げないものです。意外としぶとく、辛抱強い自分を再認識しました。結果的にはケガの軽いうちに引き上げればよかったのですが、なぜか異常に頑張ってしまって、気が付いたら8年の歳月が流れていました。
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