今まで興銀の看板を背負って仕事をしてきたのだと実感したのは、退職後、興銀時代に交流のあった方ともなかなか会うことができなくなったことからです。これは不思議な現象でしたが、後日「何か問題あって退職したのでは」という疑いを持たれていたことを知りました。澁谷と付き合うと興銀やみずほ証券との取引に差し障りが出るのではと思われていたらしいのです。大きな会社を辞めると、日本ではまだまだそういう見方をされるということです。ベンチャービジネスを起業したい、社会に貢献したいと思って会社を辞めても、世間からは「何かトラブルを起こして辞めた」と思われる、これは偏見です。私が退職した事情を知っている方は別ですが、知らない人は「なぜ銀行を辞めたのだろう」といろいろな当て推量をするものだと思いました。
一方で、心に沁みたのは、人のご縁のありがたさです。起業してどんな仕事ができるのかもわからない私に、プラスの今泉会長やフューチャーアーキテクトの金丸会長、ユウキ食品の田中社長が顧問契約をしてくださったのです。厳しい立ち上げ時のこれらの契約で、足掛かりを作らせていただいたのです。このご恩は一生忘れることはありません。
日本の中でも伝統的な銀行に24年間勤務していた私が、単身で起業するというのは、大きな変化でした。その落差に愕然としたこともあります。興銀時代は経営者も普通に会ってくれました。ところが、その看板がないと今度はなかなか会ってくれないのです。起業当初は「リッキービジネスソリューションの澁谷です」と企業経営者の方に電話しても、「何ですか、それは」とまったく取り合っていただけないこともありました。しかし、ここでへこたれるわけにはいかないと、いろいろな戦略を考えたわけです。
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