デザインの仕事を始めて40年近く経ちますが、その原点はどこにあるのかと考えると、やはり1960年代のヒッピーカルチャーになります。当時は世界中で、若者たちが社会を変革しようという熱気があふれていました。京都市立芸術大学の学生だった僕は、学園祭で透明ビニールとパイプでドーム状の宇宙基地のようなものを作り、そこでファッションショーをしたり、サイケデリックなディスコパーティーを企画したり、ロックフェスティバルのポスターをデザインしたりしました。
そんな時に京都大学近くの吉田山や白川辺りで見かける米国人のヒッピーたちと知り合うようになりました。サンフランシスコのヒッピー文化のど真ん中にいた彼らが京都に引っ越して来て定住していたのです。そこには米国人にしか入手できないビートルズやストーンズの音楽や詩集、ドラッグなどヒッピーカルチャーのすべてがあり、その洗礼をダイレクトに受けたのです。それで彼らのメッカを肌で体感したいと思って大学を中退。刺青(タトゥー)Tシャツのアイデアを持って、19歳で単身サンフランシスコへ巡礼の旅に出ました。
1969年にサンフランシスコに渡り、刺青Tシャツ販売事業のスポンサー探しからスタート。今でいうフリーペーパーに自分のプロフィールと事業内容を書いて協力者を募集しました。7名くらい名乗りをあげてくれたスポンサー候補の中から一番信頼できそうな中国人弁護士をパートナーに選びました。そして、タトゥー・カンパニーを設立して、刺青をプリントしたTシャツを、1ドル360円の時代に1枚10ドルで販売。ものすごい勢いで売れました。
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