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Front Interview
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Vol.028 ウォーターグループ代表 坂井直樹第1話 巡礼
コラム(1) パーソナル・データ(1)
サンフランシスコへ
 デザインの仕事を始めて40年近く経ちますが、その原点はどこにあるのかと考えると、やはり1960年代のヒッピーカルチャーになります。当時は世界中で、若者たちが社会を変革しようという熱気があふれていました。京都市立芸術大学の学生だった僕は、学園祭で透明ビニールとパイプでドーム状の宇宙基地のようなものを作り、そこでファッションショーをしたり、サイケデリックなディスコパーティーを企画したり、ロックフェスティバルのポスターをデザインしたりしました。
 そんな時に京都大学近くの吉田山や白川辺りで見かける米国人のヒッピーたちと知り合うようになりました。サンフランシスコのヒッピー文化のど真ん中にいた彼らが京都に引っ越して来て定住していたのです。そこには米国人にしか入手できないビートルズやストーンズの音楽や詩集、ドラッグなどヒッピーカルチャーのすべてがあり、その洗礼をダイレクトに受けたのです。それで彼らのメッカを肌で体感したいと思って大学を中退。刺青(タトゥー)Tシャツのアイデアを持って、19歳で単身サンフランシスコへ巡礼の旅に出ました。
 1969年にサンフランシスコに渡り、刺青Tシャツ販売事業のスポンサー探しからスタート。今でいうフリーペーパーに自分のプロフィールと事業内容を書いて協力者を募集しました。7名くらい名乗りをあげてくれたスポンサー候補の中から一番信頼できそうな中国人弁護士をパートナーに選びました。そして、タトゥー・カンパニーを設立して、刺青をプリントしたTシャツを、1ドル360円の時代に1枚10ドルで販売。ものすごい勢いで売れました。

時代や都市がメディアになる
 今振り返ると、当時の時代性に影響されたのでしょう。ウーマンパワー、ゲイパワー、フラワーチルドレンといった、カウンターカルチャーが世の中の底辺に流れていて、その中で10代を過ごしたことが大きかったと思います。これは個人の資質とは別問題です。あとは京都という「動の都市」で育ったこと。北海道に住んでいたら全然違っていたのではないでしょうか。そう考えると、時代とか都市が人を変えるメディアになったりすることがあるのですね。
 もう1つは幼いころの環境が影響しているのでしょう。祖母が西陣で帯屋を、叔母が白梅町で骨董店を営んでおり、幼少から美しいモノを見ながら暮らしていました。画家になりたかった叔父のすすめで油絵を習ったりして、自分の身近に美術・デザインがあったのです。ファッションにも興味があって、学生時代は派手なジャケットやプリントTシャツを実験的に着て、京都の街中を闊歩したものです。
 サンフランシスコには3年半住んでいました。町には独特のヨーロッパ文化が漂い、京都に近い空気を感じました。米国でグリーンカードを取るつもりでした。しかし、身内に不幸が起きたため、荷物を全部置きっ放しにして後先考えずに1973年頃に帰国しました。僕は相当いい加減に生きてきたタイプの人間ですけれど、帰国したらしたでいろいろなしがらみがあって、身動きが取れなくなり、そのまま結局東京に定着することになりました。




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