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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.028 ウォーターグループ代表 坂井直樹第2話 革命
コラム(2) パーソナル・データ(2)
カルチャーマガジンの台頭
 僕が20代そこそこでなぜアパレルメーカーを起業できたかというと、小さな資金で始めやすい環境にあったからでしょう。まだ大企業が席捲していない原宿という場所に恵まれたこともあります。洋服作りで一番コストがかかるのが生地代で、次が縫製工賃です。縫製工賃はわりとすぐに支払うことになっていたのですが、生地は生地屋さんが90日、120日の手形で売ってくれました。洋服を作って早く納品して現金を回収すれば生地代も支払えて、資金がうまく回転していくわけです。
 あとは海外の最新情報を積極的に発信するメディアが登場してきたことも大きな力となりました。平凡出版(現マガジンハウス)などが、ヨーロッパや米国では、どんなトレンドが話題になっているのかなどをいち早く紹介するカルチャーマガジンを創刊しました。それまでナイキ(NIKE)のことをニケとか呼んでいた人たちもいたくらい、海外の情報についてはのどかな時代でしたから。
 30歳くらいになると、東レ、テイジン、旭化成といった当時の大手合繊メーカーと仕事をするようになりました。面白いことに同じ生地でもプリントの柄によって、売れる、売れないの差がすごく大きくでてくるのです。サクランボやペイズリーの柄はあまり売れなかったのですが、その理由は誰もわからないんです。だから、非常にギャンブル性が高くて、そのあたりの勘はずいぶんと研ぎ澄まされました。それでテキスタイルの仕事が面白くなって、40歳くらいまでテキスタイルデザイナーを続けました。

つまらない成功より面白い失敗
 10年くらいテキスタイルの仕事を続けていくうち、後半ぐらいからはアパレルメーカーのライセンスやブランド・マネージメントなど、企画的な仕事が多くなってきました。その中には会社を立ち上げる仕事もあって、20数社ほど起業してはその事業を人に渡すということをしてきました。自分の発想を事業化するのが楽しくて、軌道に乗ったら、また次の会社を立ち上げることの繰り返しでした。まるでシリコンバレーのITベンチャーですね。
 アパレル業界におけるベンチャーにあたるのでしょうけれど、そもそも19歳で設立したタトゥー・カンパニー自体が今でいうベンチャーでしたからね。もちろん、当時はそんな言葉はありませんでした。1970年代はアパレルの起業ブームでした。現在は1991年ごろから登場したインターネット関連の事業がベンチャーの主流ですよね。世界を大きく変えるインフォメーション・テクノロジーと起業が融合したものを僕ら今はベンチャーと呼んでいるわけです。ただ僕は「会社を作ろう、新しいビジネスをやろう」と言ってきましたけれど、ベンチャーという言葉はあまり意識しなかった。
 誰がやってもうまくいくビジネスはベンチャーとはいえないですよね。9割は失敗するというリスクがないとベンチャーとはいえない。極端にいうと100社がチャレンジしても1社しか成功しない、それがベンチャーでなないかと。「つまらない成功より、面白い失敗が必要」が僕の口癖ですが、ベンチャーとはある種そういうものではないかと思っています。




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