久しぶりに日本に戻って感じたことは、東京は「重力の重い国」「外に出にくいしがらみの国」ということでした。その1つが言葉です。英語圏に対して、アジアではなく日本語圏があるわけです。サンフランシスコ時代の友人は中米のコスタリカに住んだり、南アフリカで半年暮らしたり、うらやましいほど自由です。僕もふつうに英語が話せますけれど、それでも長時間英語圏にいると面倒くさくなってくる。重力のひとつは言葉ですね。たとえば、トヨタが世界で1位の自動車会社になったといっても、本当の意味でグローバルではないでしょ。今でも日本は世界の中で日本語圏という大きな村であり、日本の企業文化がそのいい例だと思います。
1968年にスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』を撮って「スペース・エイジ・デザイン」が流行したのですが、その当時からエコロジーに対する問題意識やテーマは叫ばれていました。しかし、世界的な運動ではあったけれど、あくまでも学生や芸術思想を持った人々が言っているだけで、企業を巻き込むところまではいきませんでした。企業は「生産性を上げて儲かればいいから、うちは知りません」と。それが今はどこの企業も地球環境にやさしい、エコと協調しましょうと社会全体を巻き込んでいます。テーマ自体は変わっていないけれど、当時とはその有り様がまったく違ってきています。
自動車にしても1973年に排ガス規制が出てきて、CO2削減の問題を最初に考えたマスキー法という法律が制定されています。これらは一例ですが、このように現代社会が抱えている課題は、その答案は別として、38年前にすでに世の中にだいたい提出されていたことばかりのように感じます。
|