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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.028 ウォーターグループ代表 坂井直樹第2話 革命
コラム(2) パーソナル・データ(2)
日産Be−1開発秘話
 日産の「Be−1」はこの面白い失敗から生まれたものの一つです。1980年ごろに僕が20数社のアパレルを立ち上げている時に、たまたまそのうちの1社のオープニングパーティーで、音響メーカーのパイオニアのマーケティング部長から日産自動車のデザイン本部長を紹介されたことが始まりでした。当時はファンション業界がもっともトレンディな時代で、そうした目で自動車を見たらどうなるのかと、新型マーチのデザインを依頼されました。
 僕は車にはまったくの素人でカーデザインは初めてでした。当時は四角いデザインの自動車しか街中を走っていなかったので、なんでメーカーはみんな似たような車を作っているのかと思っていた程度です。ところが僕たちが提案したデザインは、マーチとはあまりに乖離し過ぎているということで、いい回答は得られませんでした。ただ非常に面白いデザインだということで、そこから1983年から何とか形にしていこうと、日産とひんぱんにやりとりをして、1985年のモーターショーにコンセプトカーをBe−1として出品しました。結果は大反響でした。そして1987年に1万台限定で発売したところ1週間で完売したのです。
 自動車産業というメジャーな世界で、こうしたサブカルチャーを実現できることは例外的な出来事で、アパレルの仕事とは世間の反応がまったく違いました。ちょうどバブルが始まったころで、世の中全体が浮かれていて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか、もうすぐ経済では日本は世界で一番になるという幻想をみんなが抱いていた時期だったこともあって、社会に与えたインパクトが大きいものでした。洋服の話題はせいぜい学芸欄で取り上げられるぐらいで、新聞の一面を飾ることはありませんでしたから。クルマのインパクトは大きかったのです。

常識とされたことを疑う
 歴史をかえりみると大きな変革は、常に異ジャンルの人間やアマチュアが起こしています。自動車でいえば、昔は三菱や日産、富士重工が国家の支援を受けた形で、兵器産業の延長として車を開発していたわけです。後発のトヨタやホンダは自動車のテクノロジーに関しては新参者でした。トヨタはもともと繊機を作っていた繊維産業であったし、ホンダはオートバイメーカーでした。本当は国策産業として立ち上がった会社がトップにいなくてはおかしいのに、実際はベンチャーとして参入した民間のトヨタやホンダが自動車業界をリードしている。これもアマチュアが成功した事例と言ってもいいでしょう。
 なぜアマチュアが変革をもたらすのかといえば、新鮮な気持ちで対象に向き合い、常識とされたことを疑い、よりよいものを追求するからでしょう。一方、プロはすべてを知り尽くしているから、自分の経験や業界の常識をなかなか打ち破れない傾向にあります。プロは改善には向いているけれど革命には不向きといわれるのは、こうしたところにあります。
 自動車業界で不思議に思うのは、ベンツもトヨタも日産も各メーカーのカーデザイナー同士がみんな知り合いで友だち関係にあることです。世界の自動車メーカーで一つのファミリーを形成しているようなのです。これでは思考が膠着してしまう。研究所も都心から離れた環境にあって、スタッフが外部との関係をあまり持たないので、だんだん浮世離れして一般の人が何を考えているのか理解できなくなっていく。これが今、車が面白くない原因の1つでしょうね。

(6月18日更新 第3話「コンセプター」へつづく)



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