日産の「Be−1」はこの面白い失敗から生まれたものの一つです。1980年ごろに僕が20数社のアパレルを立ち上げている時に、たまたまそのうちの1社のオープニングパーティーで、音響メーカーのパイオニアのマーケティング部長から日産自動車のデザイン本部長を紹介されたことが始まりでした。当時はファンション業界がもっともトレンディな時代で、そうした目で自動車を見たらどうなるのかと、新型マーチのデザインを依頼されました。
僕は車にはまったくの素人でカーデザインは初めてでした。当時は四角いデザインの自動車しか街中を走っていなかったので、なんでメーカーはみんな似たような車を作っているのかと思っていた程度です。ところが僕たちが提案したデザインは、マーチとはあまりに乖離し過ぎているということで、いい回答は得られませんでした。ただ非常に面白いデザインだということで、そこから1983年から何とか形にしていこうと、日産とひんぱんにやりとりをして、1985年のモーターショーにコンセプトカーをBe−1として出品しました。結果は大反響でした。そして1987年に1万台限定で発売したところ1週間で完売したのです。
自動車産業というメジャーな世界で、こうしたサブカルチャーを実現できることは例外的な出来事で、アパレルの仕事とは世間の反応がまったく違いました。ちょうどバブルが始まったころで、世の中全体が浮かれていて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか、もうすぐ経済では日本は世界で一番になるという幻想をみんなが抱いていた時期だったこともあって、社会に与えたインパクトが大きいものでした。洋服の話題はせいぜい学芸欄で取り上げられるぐらいで、新聞の一面を飾ることはありませんでしたから。クルマのインパクトは大きかったのです。
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