Be−1のコンセプト開発が新聞や雑誌などのマスコミで注目を集めるようになると、僕のオフィスには大企業から仕事の依頼が殺到するようになりました。これまでに、自動車、カメラ、時計、オートバイ、アルコール飲料、男性化粧品、ビデオカメラ、ガスレンジ、ワンセグTVなど、数多くのプロダクトを手がけてきました。今は、auの外部ディレクターとして、au全体の携帯電話のデザインに関わっています。
こうして、いろいろな企業の担当者の方々とディスカッションをしたり、あるいはセミナーや講演会に招かれたりするなかで感じることは、物事を機能的、合理的にとらえすぎるところです。自動車メーカーには車に設置する灰皿のデザインを専門としているデザイナーがいるという話に耳を疑いました。このようにデザインワークが分断されていては、デザイン本来のポテンシャルが失われてしまいます。エンジニアもプランナーも、自分の専門範囲しか見えなくなります。
たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの世紀では、1人でたくさんの職を持っている人が大勢いました。ダ・ヴィンチは海洋学者で芸術家でインダストリアルデザイナーであると数えていくと、少なくとも何十種類の専門職を彼1人でこなしていたわけです。現代にはそういう人間はいません。では、人間が退化したのかというと、そうではありません。これは社会が要求したものです。あなたは写真を撮りなさい、あなたはイラストを書きなさいと専門化することで、効率とか機能的とか合理的といった生産性至上主義として社会が動いたからです。
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