私は子どもの頃から、祖父に対して強い尊敬の念を抱いていました。すでに他界していたので、直接的な交流はありませんでしたが、母・温子からいろいろ話を聞いていたので、その影響が大きいと思います。祖父・岩崎俊彌は、岩崎彌之助(三菱財閥2代目・日本銀行第4代総裁)の次男として1881年1月28日に生まれました。長男が岩崎小彌太(三菱財閥4代当主・三菱合資会社社長)で、俊彌は次男坊でしたから、非常に独立心が強く、何でも自分でやろうという気持ちが強かったと聞いています。
俊彌は、1900年にイギリスのUniversity Collage of London(ロンドン大学)に留学しています。応用化学を修めますが、日本にガラス産業がないということから、それを自分で興そうと決意を固め、帰国しました。最初は工芸品ガラス、化粧水を入れるような小さな瓶などのカットガラスを製造している大阪の会社とジョイントベンチャーを作り、1907年に旭硝子株式会社を創業しまして、板ガラスの工場を建設しています。日本で初めて国産化に成功して、窓ガラスの製造をしていました。26歳という若さでしたが、陰で三菱本社(三菱合資会社)の番頭さんが支えてくれていたようです。独立心の強い社風は祖父の死後も維持されていましたが、戦時中に旭硝子と日本化成工業との合併で三菱化成工業が発足して三菱財閥の傘下に入ります。当時経営を引き継いでいた方々は、決して本意ではなく内心忸怩たるものがあったようです。晩年は、曹洞宗に傾倒し、指導をされた原田祖岳という僧侶から、禅宗と向き合う祖父の様子は耳にしていますが、そういう話の蓄積が祖父に対する想いとして醸成されていったことはあると思います。
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