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Front Interview
第1話 第2話
第3話 第4話
Vol.029 株式会社アールテック・ウエノ取締役 岩崎俊男第4話 深化
コラム(4) パーソナル・データ(4)
バイオに焦点を当てる
 ダイヤモンドキャピタルの内部評価システムは、すぐに立ち上げることができましたが、投資形態をファンドに変えていくには、3年程かかりました。2005年に200億円規模のファンドを立ち上げ、これまでの期間損益からファンドのパフォーマンスに評価軸を変えました。今までの投資方針上にあるものをすべて包括し、レーターからアーリーステージまで、国内も海外もすべて含めたジェネラルな、いわば「ごった煮ファンド」です。
 その後、ITの次はバイオということで、スタッフを外部から集め、内部でも勉強する機会を設けながらスタッフィングし、結果的に投資件数は少ないですが、パフォーマンスとしては好成績を上げることができました。これでダイヤモンドキャピタルとしての一つの特色は作れたと思います。バイオに焦点を当てたのは、時勢を考えた時に、今後の可能性が高く、資金の環流を勘案すると、この分野しかないだろうという結論からですが、国内にいいシーズ(種)がないのと、あってもそれを育てるための息の長い投資のできる人がいないことが問題です。
 今、バイオは難しいといわれていますが、以前、東証で公開したバイオ企業のバリューが下がったことがあって、投資家保護の観点で東証が公開企業に一定の条件を課したんですね。日本では何か起きると、すべてレギュレーション(規制)で解決しようとしますが、本来は市場に委ねればいいことで、投資家が自らのリスクで行えばいいのです。リスクとリターンを正当に評価して投資をする、それで失敗したらしょうがないし、そういう企業も粛々と退場できる仕組みにすることで回っていくわけです。ところが、「なんで、あんな企業を公開させたのだ」という批判に晒され、レギュレーションが作られ、ガイドラインが策定されてしまう。こうしたことが日本の活力を削いでいるかなりの要因ではないかと思います。行政、そして東証の審査部門が、批判をかわすために行った施策が、日本のバイオベンチャーを弱体化させたという見方を、私自身は持っています。

銀行とベンチャーキャピタル
 その後、2006年にダイヤモンドキャピタルは、UFJキャピタルと合併し、三菱UFJキャピタルとなりました。私自身は10月の合併から翌年6月までの9ヵ月在籍したので、最終の肩書きは、三菱UFJキャピタル専務取締役です。8年間のキャピタリスト生活で、会社の仕組みを変えようとして、その枠組みを作ったことについては、珍しく一生懸命にやったと思います。事業を起こすというカルチャーが自分のDNAに刻み込まれていたということかもしれません。
 銀行員というのは、なかなか自分で創ったものを、自分の作品だと表明することのない業務形態です。預金者のお金をお預かりして、日本の産業構造を変えていくために、こういう分野に投資しましょう、お金をお貸ししましょうという仕事です。キャピタルは、返ってこないお金を提供して、価値を上げるところに魅力があると思います。通常の銀行業務では、100社に貸し出して、5社失敗したら、残り95%がうまくいってもダメなのです。でもキャピタルの場合、10社に投資して、そのうちの30%が公開して5倍になり、次の投資資金ができて、オーバーヘッドが吸収できる、そういうものですから、当時でも7割はうまくいかないという前提でつくられたビジネスモデルです。
 これがスタートアップからということになれば、成功するのは10社に1社より少ないかもしれません。もちろん失敗は許されませんが、失敗を前提にしたビジネスモデルという点は魅力です。自分がしたことの結果に対して、次を考え出す、繋げていけるというところに意味があるのだと思います。



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