当時の学園紛争というのは、自由になろうとしていた時代というか、みんな純粋に自由になることを考えていました。そうした中で就職の時期を迎え、自分の将来を考えた時に、どうしても「三菱」というものからは逃れられませんでした。といいますか、やはりそこに行くべきだろうと、そう決断を下したのです。
自分が三菱の人間であるということは、紛れもない事実ですし、そのことは自分の中にしっかりと刻印されていた、ということでしょう。本家筋ではありませんが、岩崎の人間である以上、「三菱」の役に立たなければならない、そういう意識はあったと思います。彌太郎には殿様の気風があって側室に違和感がない時代で係累の人数は大変に多かった一方、彌之助の方はそういった背景がありませんでしたし、特に男子が少なかったので、余計に「三菱」の人間という意識が強くなったのかもしれません。子どもの頃から「三菱」の人間であるという意識はありましたが、やはり強く意識したのは大学生の頃でしょうか。
学園紛争の中で、抑圧された人々という話を聞く一方で、自分の出自を考えた時に、やはり三菱に身を置くべきだろうというのは、その頃に明確になったと思います。もちろん友人と共有できる話ではないので、自分で考え、自分なりに答えを導き出して、三菱銀行へ進むことに決めました。
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