その後、日本に帰国して、国際部門に配属されました。現地での経験を生かして、ということでしょうが、当時、海外に拠点を開くことが自由化されるプロセスの中にあったため、急にいろいろな場所に拠点展開をすることになり、忙しくしていました。ただ海外に支店を開きたいといっても、すぐに開設できるわけではなく、大蔵省としては3年に1店舗しか認めないという厳しい規制を敷いていました。銀行業務だけの地域戦略にとどまらず、大蔵行政によって制限されていた証券業務を推進する欧州拠点を地場金融機関と合弁という形で推進することも仕事のひとつでした。また、当時戦略地域と考えていた東南アジアでは現地の外銀規制が厳しいため、リースやファイナンスといった周辺業務で展開しようと地場資本との合弁交渉もしていました。
東南アジアで事業を進める場合、東南アジア各国の国民意識が事業展開にどう影響してくるか、もっと簡単にいえば、彼らが日本をどのように見ているのか、ということに気を配らなければなりません。例えば、タイは、第二次大戦の時に日本の戦禍にまみれておらず、部隊が通り過ぎただけということもあって、非常に近しく感じてもらっています。しかし、シンガポールやマレーシアでは、歴史資料館に行けば、やはり戦争当時の日本軍の残虐性みたいなものが展示されています。彼らはそういう戦争被害の感情を表にこそ出しませんが、過去の歴史がどういうふうに心に捉えられているかについては配慮しなければならないのです。そういう思いは常に持っていましたね。
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