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Vol.029 株式会社アールテック・ウエノ取締役 岩崎俊男第2話 銀行
コラム(2) パーソナル・データ(2)
帰国後、国際部門に配属
 その後、日本に帰国して、国際部門に配属されました。現地での経験を生かして、ということでしょうが、当時、海外に拠点を開くことが自由化されるプロセスの中にあったため、急にいろいろな場所に拠点展開をすることになり、忙しくしていました。ただ海外に支店を開きたいといっても、すぐに開設できるわけではなく、大蔵省としては3年に1店舗しか認めないという厳しい規制を敷いていました。銀行業務だけの地域戦略にとどまらず、大蔵行政によって制限されていた証券業務を推進する欧州拠点を地場金融機関と合弁という形で推進することも仕事のひとつでした。また、当時戦略地域と考えていた東南アジアでは現地の外銀規制が厳しいため、リースやファイナンスといった周辺業務で展開しようと地場資本との合弁交渉もしていました。
東南アジアで事業を進める場合、東南アジア各国の国民意識が事業展開にどう影響してくるか、もっと簡単にいえば、彼らが日本をどのように見ているのか、ということに気を配らなければなりません。例えば、タイは、第二次大戦の時に日本の戦禍にまみれておらず、部隊が通り過ぎただけということもあって、非常に近しく感じてもらっています。しかし、シンガポールやマレーシアでは、歴史資料館に行けば、やはり戦争当時の日本軍の残虐性みたいなものが展示されています。彼らはそういう戦争被害の感情を表にこそ出しませんが、過去の歴史がどういうふうに心に捉えられているかについては配慮しなければならないのです。そういう思いは常に持っていましたね。

三菱の精神を継ぐ会社
 その後、資金証券部長、虎ノ門支店長などを経て、1999年に人事異動で、ダイヤモンドキャピタルに移りました。ダイヤモンドキャピタル自体は、1974年に設立されたものですが、三菱銀行に彌太郎(三菱財閥創業者)の曾孫にあたる寛彌というものがおりまして、彼が銀行の中にインベストメントというものがなければならないと考えたのですね。それと、三菱の過去を遡れば、新しい技術・事業を興してきた歴史があります。だから、ダイヤモンドキャピタルもそういうものとして位置づけていこうということで始まりました。
 設立資本金が7億5千万円と少額ですし、三菱系の企業を回って集めたのが一社あたり数千万円、「まあ、祭りの奉加帳や」ということでできた会社でした。三菱銀行の連結子会社ではなく、間接保有を含めても20%しかなかったので、そういう意味ではユニークな組織だったと思います。
 そうした三菱の精神を受け継ぐかたちで生まれた会社でしたが、なかなか銀行系のベンチャーキャピタルという領域からは抜け出すことができませんでした。私にポストが回ってきたのも、マーケットがわかるこの年代の人間というと、私ぐらいしかいなかったということでしょう。もともと、銀行の中にはマーケットのことがわかる人間が少なかったということもあったと思います。

(7月16日更新 第3話「天命」へつづく)



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