米国で1995年くらいからドットコムバブルが起こり、きっと数年後には、同じことが日本でも起きるだろうということで、そういうものを持ってアメリカから帰ってこられた方が、独立的な事業を興そうとして模索する、という動きが出てきました。一方、ベンチャーキャピタルも、DELLやINTELなどのようなコーポレートベンチャーキャピタルが出てきて、そういう投資スタンスと日本の銀行証券系のベンチャーキャピタルの投資スタンスがあまりにも違ったため、このままいくと、自分たちの立ち位置がなくなるということになってきたのです。
例えば、上場を果たそうとしている企業があるとすると、2年前までしかファイナンスができない規制がありました。公開前取得規制というリクルート事件の余波でできた規制ですが、そうすると、その2年間の時間的価値が稼げるわけです。社長の持ち株比率を維持するためにワラントというのがありましたが、そうしたものを一緒にアドバイスすることで、かなり低い株価で投資をできる権利を持つことができました。持ち株比率が数%以下であっても結構な収益を稼ぐことができました。それが80年代後半から90年代にかけての日本のベンチャーキャピタルのビジネスモデルでした。
その後、日本の株式市場にナスダックが来るなど、そういう流動過程の中で、タイムバリューを稼ぐ仕組みそのものがなくなってしまったのです。公開前取得規制もなくなり、自由化が進んでくると、これまで障壁によって守られていたビジネスモデルというのは当然、成り立たなくなってきます。私が移ってきた頃は、そういう動きがかなり明確に見えていたので、これは何とか変えていかないと持たないのではないかという気持ちになりました。海外でインベストメントカンパニーというのは見ていましたが、ベンチャーキャピタルというのは初めてでした。しかし、ベンチャーキャピタルの仕事にはとても興味をおぼえ、自分に向いているという思いもありました。
|