もともと過去を振り返ることは好きではありません。どこで生まれて、どんな商売をやってきたかなどは、どうでもいいように思ってきました。しかし、今年の6月に死も覚悟したほどの辛い日々を病床で送ることになり、そのとき、これまでの人生を考えたてみたのです。すると、私は普通の人と比べると、ずいぶんと激動的な日々を送ってきたことに気づかされました。
私の生家は大阪府下の河内、現在の松原市にあります。戦前では比較的裕福な農家の長男として生まれました。父の専太郎と母のコギクは、普通より少し頭のよい、真面目な働き者でした。戦時中の貧しい時期でしたので、子どもながら夜明け前に起床し、農作業を手伝うことが日課でした。代々地元の氏神である熱田神社の管理も任されていましたので、神社の神主になる可能性もありました。
私は子どもの頃から論理的、合理的に納得できないことには従わないのが信条でした。また、権威主義的なことにも反発を覚えていました。この性格は持って生まれたもののようで、その後も変わることはありませんでした。
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