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Vol.032 株式会社船井本社 代表取締役会長 船井幸雄第2話 理

死も覚悟した辛い日々
 もともと過去を振り返ることは好きではありません。どこで生まれて、どんな商売をやってきたかなどは、どうでもいいように思ってきました。しかし、今年の6月に死も覚悟したほどの辛い日々を病床で送ることになり、そのとき、これまでの人生を考えたてみたのです。すると、私は普通の人と比べると、ずいぶんと激動的な日々を送ってきたことに気づかされました。
 私の生家は大阪府下の河内、現在の松原市にあります。戦前では比較的裕福な農家の長男として生まれました。父の専太郎と母のコギクは、普通より少し頭のよい、真面目な働き者でした。戦時中の貧しい時期でしたので、子どもながら夜明け前に起床し、農作業を手伝うことが日課でした。代々地元の氏神である熱田神社の管理も任されていましたので、神社の神主になる可能性もありました。
 私は子どもの頃から論理的、合理的に納得できないことには従わないのが信条でした。また、権威主義的なことにも反発を覚えていました。この性格は持って生まれたもののようで、その後も変わることはありませんでした。

プラスの波動、マイナスの波動
 戦時中から終戦にかけては、衝撃的な出来事の連続でした。空襲ではグラマン戦闘機の機銃掃射に追われ、大変怖い体験をしました。このときに周囲の人々と同じ方向に逃げると撃たれますが、逆方向に逃げると掃射を浴びずに済むことを学びました。こうした極限状態の中から、子どもながらに生きる術を編み出し、必死に生き抜いていたのです。
 私の通学していた中学校は、鉄筋造の近代的な建物だったこともあって、終戦後は校舎の半分がアメリカ軍の占領施設になっていました。そのときに1人のGHQ将校から「9to5パーソンになってはいけない」ということを教わりました。朝9時から夕方5時までを仕事時間と考え、残りの時間は余暇として仕事をしない人間になってはいけない。これからの日本をよい国にするには、24時間命がけで働くことを心がけなさい。これが世界中の成功者の生き方だと教えられました。
 その後、松下電器産業の創始者・松下幸之助氏が、大阪府下の高等学校の生徒会長を集めて講演会を開いたことがありました。当時、生徒会長だった私も参加しましたが、このときに松下氏から聞いた「ツイている人になりたかったら、ツキのある人と付き合いなさい」という言葉は昨日のことのように覚えています。世の中のすべてのものは波動を出して、それぞれが共鳴し合っています。同じような波動は互いに引き合い、異なる波動は相殺し合う性質を持っています。そのためにマイナスの波動を出している人の所に、同じマイナス波動の人が近づくと、物事はますますマイナス方向へ向かって悪循環を起こすのです。逆にプラスの波動を出している人の所へ行けば良い波動を持つ人が集まって、さらに物事が好転するわけです。これらの現象は、経営コンサルタントとして人間研究をするようになってわかった自然の理です。




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