財団法人安全協会に就職し、産業心理や産業能率の研究を中心に、職場の安全管理や工程管理など新しい知識を体得する一方で、安全協会が発行する「安全衛生」と「人間と経営」という2冊の機関誌の編集長を兼務しました。新聞記者志望だった私にとって、この仕事はとても楽しかった思い出があります。この雑誌編集を通して、多くの読者の方に愛読していただくために「難しい理論をやさしく表現する」ことの必要性を痛感しました。このときの経験があったから文章表現も上手になり、後の執筆活動や雑誌編集の仕事にも大変役立ったように感じています。
安全協会を退職後、仲間と宣伝販売中心の経営コンサルタント会社を設立しました。私はまだ20歳代後半、昭和30年代半ばのことです。当時は経営の知識、情報、アイデア、ノウハウなどに金銭を投資する時代ではなく、まだコンサルタント業という仕事が世の中に認知されていませんので、コンサルティング料も破格の安さでした。要するに時流に乗らない商売、会社を興すには時機尚早だったわけです。
10人ほどの社員に給料を支払うと、自分の取り分がない状況が続きました。それで会社の運転資金を作るために、会社の就業後や休日に他の会社でアルバイトをしました。その当時にお世話になったのが小売業や卸売業の方々です。のちに中小企業を中心にしたコンサルティングが得意になったのは、当時のアルバイト業で知り合った方々から小売業や卸売業のシステムなどを学んだからです。人間、何が幸いするかわからないものです。
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