昭和44年9月、36歳の私は納得いかないことが相次ぎ、理事会で衝突をして日本マネジメント協会を辞職しました。その数日後に個人経営のフナイ経営研究所を起業し、翌年3月に船井総研の前身にあたる日本マーケティングセンターという会社を設立しました。当時の日本はスーパーマーケットの黎明期でした。私たちは大量消費時代を予測して、スーパー業界の新規開拓に取り組み、新しいマーケティング理論の発想を編み出すことに成功しました。
私は「アンチ・マス理論」を掲げて、土地や風土の違い、立地条件によって消費者の購買傾向はさまざまであることをベースに経営戦略を立案しました。また、人間の個性を活かした集団こそ、会社の成長に欠かせないことを説きました。その当時、大量仕入れと大量販売のメリットを活かし、店舗のチェーン展開、規格化、マニュアル化といったアメリカ流の「マス理論」を提唱した渥美俊一さんとよく比較されることもありましたが、結局は双方の理論とも競争して勝つことには変わりがなかったのです。
経営は競争力の結果と、競争相手に勝つことを前提にして戦略や戦術をアドバイスする仕事が経営コンサルティングだと割り切っていたのです。資本主義社会は競争社会です。勝ち残るためには手段など選ばない、勝つことが正しい生き方だと思っていました。今振り返ると、何とも不遜な思考です。しかし、30歳代後半頃から「弱者を踏み潰して勝つことが正しいはずはない。こんな戦術を続けていていいのだろうか」と思うようになりました。
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